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亡き父からの贈り物〜J&Jから無名のベンチャーに転じた依文さんが「自分」に手紙を書き続ける秘密〜

しく働く人を応援するメディアQ-SHOCKをご覧の皆さんこんにちは。タカタタンです。この度は以前取材させていただいたプロノイア・グループで広報として活躍されている平原依文さんにインタビューしてきました。依文さんは、私の知り合いの中で、楽しく働いている人を挙げろと言われた際、真っ先に思い浮かぶ方です。何でいつも笑顔でキラキラ働けるのか、秘密にせまりました。

 

プロフィール

 

Photo by Jin

平原依文(Ibun Hirahara)

プロノイア・グループ 広報/マーケティング担当
One Young World 青年版ダボス会議 2018年度 日本代表

「当たり前がない世界を探求するために」小学生から単身で中国・カナダ・メキシコ・スペインに留学。3.11東日本大震災がきっかけで帰国後、早稲田大学国際教養学部に入学。新卒でジョンソン・エンド・ジョンソンに入社し、デジタルストラテジー・タレントデベロップメントを経験。幼少期からの夢である日本の教育に変革をもたらすためにプロノイア・グループへの転職を決意。当社にて広報、ブランドマーケティング、スピーカーコーチング、イベント企画を推進

 

依文さんが参画するプロノイアのお仕事

 

 

–依文さんは今どんなお仕事をしているのか教えていただけますか?

私は今、プロノイア・グループという経営・組織コンサルティングを通して、企業の未来を創る、未来創造企業で働いています。ちょっと分かりづらいと思いますので、具体的にお話しますね。

スタートアップ、中小企業、大企業関係なく、日本企業は昔から世界を「WOW」と驚かすような独自の知識ノウハウ文化を持っていて、私たちはそれを「Treasure(お宝)」と呼んでいます。プロノイアは企業が持つそれぞれのお宝を統合して、より良い未来にしていくために事業として何ができるか、パートナーさまと一緒に推進します。私の当社での役割は主に広報とブランドマーケティングです。

 

–ありがとうございます。未来創造企業、、、!改めて、他には聞いた事ないですね(笑)具体的な事例を教えていただけますでしょうか。

「未来創造企業」だと分かりづらく、怪しい会社に聞こえますよね(笑)。弁解させてください!私たちは組織戦略と企業間のコラボレーションに力を入れております。分かりやすい具体例として1つあげますと、ヤッホーブルーイングさんとのプロジェクトがあります。

突然ですが、タカタタンさんは飲み会に対するイメージどうですか?

 

–僕が所属している会社の飲み会では、あまりにも本音を出しすぎて僕が上司と喧嘩とかしてるイメージです(笑)

確かに、この間タカタタンさんとfor Startupsの役員の方と飲んだ時は、他社の私がいる目の前で、人事責任者の方とバチバチ言い合っててとても面白かったです(笑)でも、それってフラットな組織だからこそできる「異例」な飲み会で、そうじゃない場合が多いのです。

例えば、上司の方が「俺って昔はこうだったんだよ」ってひたすら語る。対して部下は「そうですよね」って忖度しながら聞き続ける飲み会があります。そうすると、部下は上司と一緒に飲み会に行きたくなくなり、部下を誘いにくいカルチャーができ、どんどんチームとしての関係性が悪化します。でも、本来飲み会はチームビルディングのためのものです。なので、社会人のための「飲み会平和化プロジェクト」をヤッホーブルーイングさんと始めました。このプロジェクトでは、部下の方に、よく先輩の方から聞いて面倒くさいなと思う、「先輩風吹かしているな」って言葉をアンケートで集計し分析し、アルゴリズムを組んで、“先輩ワード”を言った瞬間に風が吹くようなプロダクト『先輩風1号』やお互いの本音自己開示しやすくなる『無礼講ースター』を開発しました。

 

『先輩風一号』の動画を見て楽しそうに語る依文さん

 

このプロジェクトを通して上下の関係ではなく、一人の人間として会話できるような、”チームビールディング”という新しいコミュニケーションを作り、ヤッホーさんと一緒に商品開発からメディア発信やコンテスト企画をしました。

 

教育を志した依文さんが学生時代に目指した道とは

 

 

–僕のイメージでコンサルって聞くと、数値分析や難しいことをレポートにまとめたりと、冷静沈着なイメージがあります。でも、プロノイアさんのお仕事ってぶっちゃけ「何それ?」みたいな、はてながいっぱい浮かぶようなお仕事ですよね。素晴らしい取り組みなんだけど、なんて説明したら良いのかなあって思うときがあります。

いろんな方からプロノイアさんって「何しているのかよく分からない」と言われます。でも、何しているか分からないで良いんです。未来って何が起こるか分からないじゃないですか。私たちは“未来”を先読みしデザインする会社です。それが今の枠組みから見て分からないことであってもしょうがない事だと思います。だって、未来には当たり前がないんですもん。

 

–すごくクリエイティブなことされていて、確かにお話しをされていてすごく楽しそうだなって感じます。依文さんがプロノイアに入るまでの経緯をお聞かせいただけますか?

私の小さい頃にさかのぼりますが、私は幼少期から教育にとても興味があったんです。その背景として小学校2年生の時から単身で中国、カナダ、メキシコ、スペインの4ヵ国に留学し、その経験を通じて一番痛感したことは、教育が私たちの軸やヒト・モノ・コトに対する捉え方を形成することです。例えば外人って言われた時どんな方を想像しますか?

 

–安直ですが、、、プロノイアCEOのピョートルさんとかですかね?

ピョートルもそうです!恐らく、白人を思い浮かべる人が多いと思います。でも、私たちもある意味では外人であり、今主に日本に入ってきている方も中国国籍だったり、ベトナム国籍だったりと、白人だけではないのです。すなわち、偏見が潜んでいると思います。この偏見は、教育から来ていると思うのです。真のグローバル化を実現するためには、形式ではなく偏見教育を抜本から破壊する必要があります。そして、いつか人々が自分の軸で情報を取り込み、組み立てられるようなボーダレスな教育が必要だと小さい時から思っていました。

 

–素晴らしいですね。ただ、教育をやりたいという前提だったのに、就職する時は教育業界に行かれなかったんですね。

もともとは、自分で新しいタイプの学校をゼロから作りたかったんですが、起業にあたり、自分に不足していることを考えた時、ロジカルシンキングや数字が苦手だと気がつきました。そこを打破するべく大手コンサルファームでの長期インターンを経て、、情熱しかない魂に、やっと理性も加わりました(笑)

 

依文さんがコンサルではなくJ&Jに入った時の意思決定を左右した父への想い

 

 

–なるほど、教育をやるための知識をつける為だったと。でも、新卒としてはJ&Jに入られていますよね。何かあったのですか?

実は、、、某コンサル会社から内定をいただき、行こうか悩んでいる時に、私の父が末期の胆管がんだという事が発覚したんです。

その時、改めて人生を振り返り、残された時間の中で父親に対して今できるものは何かと考えた時、「医療の知識を持ち、父を始めとする病気で苦しむ患者さんの選択肢を増やしたい」と切実に思い、今でも大好きな会社である前職のJ&Jに入社しました。プロダクト、企業文化、チームメンバー、何をとっても素晴らしい会社でした。

 

前職のJ&Jでも楽しく充実した日々を送っていた

 

ただ、良い会社だからこそ心地良くて、自分の能力とは関係なく自然とモノも売れてしまう。この現状に気づけば、モヤモヤした気持ちを覚えていました。

そして、内省をする中で、そもそも父は私の何を応援してくれたんだろう?と思い出すと、「依文が教育や、学校を立ち上げるためにパパは頑張るぞ、応援するぞ!」と言ってくれていたんですね。だから、もう1回原点に帰りたいと思って学生時代からお世話になっていた人材開発のスペシャリストであるピョートルに連絡し、転職を決意しました。

 

初めて転職した時の心境と周囲の反応

 

 

–なるほど、原点に振り返ったところにプロノイアがあったと。ところで、最初の転職だと思いますが、大手からスタートアップに行くことに不安はありませんでしたか?

「迷い」という考えは驚くほど最初からありませんでした。それ以上にお世話になった方々に対して恩返しできるかの不安の方が大きかったです。。前職の面接時から、3年以内で辞め、その次のキャリアでは教育で起業したいと告げておりました。そんな夢を追う自分に対してみんな共感してくれたと同時に「J&Jのブランドがなくなっても大丈夫なの?」と心配の声も多々ありました。冒険精神が強いのか、「何もないからこそ挑戦したい」という気持ちが心配を大きく上回りました。どんなに有名な企業も最初は無名から始まり、一人ひとりの努力と信頼の積み重ねでブランドが確立され、世の中に認知されます。ブランドがない今だからこそ、毎日地道に0ベースで作り上げていくことの波乱万丈さを日々感じております。

 

–正直、依文さん程優秀な方だったら、辞めるといったとき企業からネガティブな反応がありそうですが、転職を打ち明けた時、何か周りの反応はいかがでしたか?

幸いなことにネガティブな反応は一つもなかったんです。逆に前職を離れる時に上司に最高のギフトを貰いました。それは、「失敗」という経験です。。退職する直前に、大きなミスをして、沢山の方に迷惑をかけました。普段は上司が一緒に謝ってくれるのにも拘わらず、その日はフォローを一切してくれず、新人の私が一人で全ての責任を覆い平謝りすることがありました。嵐が過ぎ去った後に上司から「辛かった?」と聞かれ、「トイレで隠れて、初めて泣きました」と返した際に「その経験が財産だよ」と言われました。ベンチャーという荒波がいつ起きてもおかしくない厳しい環境に対して耐性を早いうちから身につけさせることが上司からのギフトでした。今でも心から感謝しています。

 

–素晴らしい上司、そして、本当に良い会社ですね。ちなみに野暮な質問かもしれませんが、1社目を選ぶ時に教育ベンチャーという選択肢はなかったですか?

なかったです。理由は自分が起業しようと考えた時に、分かりやすい経歴が必要だと思ったからです。特に教育ビジネスに関しては、「親御さん視点で見た時にどんな経歴の経営者だと安心してお子さんを預けてくれるか」が非常に重要だと考えました。大学もしかり、企業も大きなところの方が、親御さんから信頼されると考え、大企業に進みました。

 

カナダのホストファーザーから学んだ“楽しく働くという価値観

 

 

–親御さんまで思考が及ぶところがさすがです、、、!ちなみに教育にもいろいろあると思いますが、その中でなぜプロノイア選ばれたのですか?

私は将来、受験や就活の波に飲まれるのではなく、「自分がどんな人間で、やりたいことって何だろう」と考え、自ら選択肢を作る教育を構築したいです。それを実現するためにはまず、子供たちの一番のロールモデルであるお父さん、お母さんの「働き方改革」が必要だと感じました。これからの時代、仕事とプライベートの境界線がどんどん薄れていくからこそ、楽しく働くお父さんとお母さんを見れば自然と仕事に対する価値観が幼少期から変わると思うんです。そこで、「人」に重点を置いた組織開発を幅広い企業で実践し、「Play work」をカルチャーとして大切にしているプロノイアに惹かれ、「自分らしく楽しく働く」を広めるために入社を決意しました。

 

「Play work」を実践するプロノイアのメンバー達

 

–依文さんは本当に楽しく働いていますよね。「楽しく働く」きっかけとなる出来事はありましたか?

学生時代まで遡りますが、私は小6から高校卒業までカナダに留学していました。カナダでは中学生から、「Take Our Kids to Work Day」という、子どもを自分の会社に連れていく日が年に数回ありました。私もホストファーザーやマザーの勤務先で何度も職場体験をさせて貰いました。

 

当時のホストファーザーはカナダで議員さんをやっていました。カナダは国際色だけではなく、働き方も多様な国でしたカナダの議員さんは自分の通常の仕事があり、プラスアルファで議員をやる人が多いのですが、ホストファーザーは本職としてソムリエをやっていたんです。ワイナリーを経営し、自身もソムリエをやってただでさえ大変な中、議員もやる。2つ仕事をやるのってすごく大変だと思います。

 

パッションを持って働くホストファーザーと家族

 

それでも食卓を囲めばいつも「今はカナダ人と留学生、移民の人が分かれてしまっている。僕は、カナダをもっと文化が混じり合うような真のダイバーシティ溢れる国にしたい」とずっと熱弁しておりました。それが仕事に対するパッションなんだと。ホストファザーのお陰で仕事はパッションを持って楽しむものなんだと学生時代に知ることができました。

 

父から教えてもらった、気持ちを言語化することの重要性

 

 

–明らかに「楽」ではないですが、パッションや目的を持って行動すると「楽しく働ける」ということですね。もし、楽しく働くためのコツがあったらQ-SHOCKの読者に教えていただけますか?

コツと言えるものかわかりませんが、、、。私は、「毎日している仕事1つ1つに対し、手紙1枚分、情熱で埋め尽くせるか?」を自問自答しています。

 

–え?手紙!?手紙って具体的に誰に向けて、どういう形式でいつも書かれているんですか?

私の場合、人と関わることが原動力なので、熱を感じたコトやヒトに向けての愛を、ひたすら紙に綴ってます。一日の終わりに「自分宛」に書くのがほとんどですが、つい最近、駅員さんに書きました。朝の通勤ラッシュ時、駅員さんってすごく機嫌が悪く、怒り顔の方が多い印象があります。そんな中、渋谷駅にいたその駅員さんは「いってらっしゃいませ!」「今日も良い1日を!」を通行する一人一人に対してずっと笑顔で挨拶していました。。その姿に感動して、駅構内のトイレで「何に感動し、どうして手紙を書き、どう自分に影響したか」をラブレターに書いて渡しました。一歩間違えたら危ない人ですよね(笑)

 

依文さんは自分の気持ちを日々、手紙に綴る

 

–書いている人も書いてもらっている人もハッピー!素敵すぎますね。この習慣はいつから続けられていますか?

幼少期からです。これも父の影響が大きいんです。父は製薬会社に勤めていたのですが、仕事が大好きで、病気になった時でさえ、自分の命よりもお医者さんと仕事話で夢中になっていました。。どうしてこんな時に、冷静に仕事の話ができるんだろう?と不思議に感じました。父が亡くなった後にその理由が分かりました。ある日、家の整理をしていたらいろんなメモ帳が出てきました。「〇〇医師があの時、あの場所で発言をした」等、そこには製薬会社に勤めていた父が新卒から最終出勤日まで、仕事上で「観た風景」が詳細に、文字に綴られていました。

それを見たとき、私も小さい時から影響を受けていると再認識しました。留学時、父との連絡手段は手紙しかありませんでした。なぜかと言うと、私が海外に行って戻ってきた時、「帰国子女って日本語しゃべれないんでしょ」っていう変なレッテルを周りから張られるのがお父さんは嫌だったそうです。

だから手紙で、自分の気持ちや体験を文字で書くことの大切さを忘れて欲しくない想いで、どこに行っても連絡手段は手紙一つでした。

その時の手紙に対する愛着や、考えてる事を言葉にする重要性を、ずっと変わらず今も持っています。

 

「敵は昨日の自分」という言葉がありますが、私は「味方は今の自分」だと思います。
今という瞬間を感じることができるのは、他の誰でもなく「今の自分」です。
楽しい、悔しい、悲しい、嬉しいも「今の自分」しか知りません。
たくさんの「今の自分」が繋がり、今日があります。
今、この瞬間に感じている素直な気持ちを言葉にしてみてください。

きっと、迷った時に味方になって寄り添ってくれるはずです。

 

–インタビュー全体を通して思ったのですが、平素から言語化をしているからこそ、人生の岐路に立たされた時に自分で考えて自信を持って選択できるのかもしれませんね。依文さん、どうもありがとうございました!

<お知らせ>

最後になりますが、明けましておめでとうございます。私たちQ-SHOCKは、2019年、楽しく働く人を応援するメディアとしてどんどん加速していこうと思っています。Q-SHOCKは「楽しく働く人を応援したい!」というSHOCKERと呼んでいる同志が集まり運営しています。それぞれ編集やカメラマンなど各々のスキルを持ち寄ってます。

SHOCKERになって、インタビューについて行きたいなっていう方は、下記のボタンをクリックしてタカタタン(弘中寛太)宛にメッセージを一本いただけますと幸いです。それでは今年もよろしくお願いいたします!!

 

by
早稲田大学大学院卒の27歳。 Tokyo XR Startups、レオス・キャピタルワークスにおけるインターンを経て、早稲田起業家養成講座に触発されDARSと共にQ-SHOCKを開始。現在は、for Startups, Inc.でヒューマンキャピタリストとしても活躍中。趣味は読書とカフェ巡り。ビールが大好き。
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