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東証一部上場のライクで、我堂佳世さんが31歳の若さで役員になるまでの軌跡

Q-SHOCKをご覧の皆さんこんにちは、タカタタンです。
今回は、東証一部上場企業取締役を含め複数の役職を兼務している我堂さんを取材してきました。
我堂さんはレオス・キャピタルワークスの栗岡さんに紹介いただいたご縁で学生時代からお世話になってますが、毎度お会いする度、そのバイタリティに驚かされます。
彼女がどのような学生時代を過ごしたのか、その圧倒的なバイタリティはどのような経験の中で生まれたのかインタビューで明らかにしてきました!
いつも明るく、楽しく働く我堂さんが、いくつもの苦悩を乗り越えていく軌跡を追った大作をどうぞお楽しみ下さい。

プロフィール

我堂 佳世(Kayo Gado)

1982年大阪府出身。四天王寺高等学校、大阪府立大学経営学部経営学科卒業後、2005年4月、日本生命保険相互会社入社。2006年9月、ジェイコム株式会社(現ライク株式会社)に入社、経営管理部財務経理グループに配属。2012年6月に29歳で経営管理部長、2014年8月に31歳で取締役就任。

2019年5月現在、経営管理部長として管理部門を管掌する他、グループ事業推進担当として、約5,000名の保育士を擁し全国340ヶ所以上の認可保育園・学童クラブ・企業主導型をはじめとする事業所内保育の運営を行うライクキッズネクスト(東証一部)、販売職・保育士・介護士・コールセンター・物流において約7,000名のスタッフが稼働し総合人材サービスを提供するライクスタッフィング・ライクワークス、約800名の介護士を擁し首都圏24ヶ所で24時間程看取り介護までを行う有料老人ホームを営むライクケアネクスト、CVCのライクキャピタルなど、保育・人材・介護の3つの軸を活かした事業拡大を推進。

 

東証一部上場企業役員の仕事は“何でも屋”?

 

 

ー早速ですが、我堂さんの現在のお仕事について教えてください!

私は、ライク株式会社で、“何でも屋”をやっています。一応役職としては、経営管理部長兼グループ事業推進担当をしています。普通は経営管理というと、経理・総務・法務・労務というところになるのですが、新規事業やM&Aや事業提携やスタートアップ支援など、どこの部署で担当したらいいのかわからないところは全部私なんです。これはなぜかというと、営業と管理両方の知識が必要だからです。

たとえば、営業だけだと知識が足りず時間がかかる、スタートアップを学生が立ち上げる時に登記とか会社法とかがわからないから起業できない、逆に未熟な弁護士さんだと、専門的な知識はあるけれども自分で事業をした事がないから臨機応変な対応ができない、といったことが起こります。そこを私は攻めも守りも両方やっています。上場企業の役員としては分業されていることが多いですが、実際できます(笑)それが私の特殊なところです。

 

雑貨屋さんになりたかった中学・高校時代

 

 

ー知識と行動どちらもともなっていなければなし得ない領域ですね!なぜそんなことが出来るのか、過去に遡って教えてください!

ありがとうございます。小学生の頃から話をすると、小学校の時は勉強が好きじゃなかったんです。ただ、とある日に近所に塾ができたんです。特待生を募集していたところに、親が面白がって申し込んだら受かったんです。数学の先生が好きだったんですが、小学五年生にして、高校生の時に解くようなチャート式を解いてつるかめ算とかをすっ飛ばして、当時で連立方程式とかやっていました。

ただ、主に理系科目しか好きじゃなかったんで、同時に震災など色々とあって私立は落ちて、地元の中学にいくわけです。運動会があったら暴走族のOBが来るようなところでした。そして、中学くらいから普通に就職するつもりがなく、雑貨屋をやると決めていたので、授業中にドラえもんのドンジャラとかしていました(笑)当時は勉強もせずに遊んでいましたが、なんとか四天王寺に受かりました。

 

ーチャート式は僕も高校三年生の頃に使っていた教科書です(笑)高校も四天王寺って大阪のトップレベルの高校ですよね(笑)そこではどうでしたか?

はい。高校に入ったは入ったんですが、勉強はしないわけです。女子高だったのですが、中学の頃は勉強もしていなかったので、優等生女子が苦手なわけです。そのため1、2年生の時はほとんど学校には行っていませんでした。近隣の偏差値が高くない高校の人達と当時大阪では栄えていたアメリカ村などに行って、友達がDJをやっていたのでそこに行ったりバイトをしたりしていました。すると、あっという間に学年で下から10番くらいの成績になり、親を呼び出されました。そしたら、親が変な人なので、「そもそも、大学は義務教育じゃない。高校は最近みんな行かせているから何となく行かせているだけ。この子が野たれ死のうと私には関係ないので」と言われました。その時に、「本気で言っているな」と思い焦りました。

 

ーそれは怖いですね。どのように行動を改めていったのでしょうか(笑)

当時、会社に勤めるイメージがなかったです。なのでアメリカ村で遊んでいるときに、自営業を営んでいる知り合いに「お店やります」っていうことを言い張ってました。衣食住を全部やりたかったので、服屋さんと、飲食店と、雑貨屋さんを3店舗展開したいと言っていました。そんな矢先、高校3年生の始業式の時に、感冒性胃腸性になりました。今から振り返ると、ただのお腹の風邪なんですけど、今まで病気になったことはなかったので、「これは死んでしまう、、、私には、自営業をやる体力がない。だからOLになろう!」って高校三年生の時に思ったんです。

また運命的な出会いがあって、感冒性胃腸炎から復帰したら、新しい世界史の先生が学校にいたんです。その先生は、浜学園という進学塾から四天王寺に移ってきて世界史を教えている人でした。その1回か2回しか会っていない人に「君にはOLは向いていない」と言われたんです。そして、会わせたい奴がいるといわれて、アーサー・アンダーセン、今でいうアクセンチュアの人に会わせてもらって「君はコンサルとかが向いている。OLはやめておけ」と言われ、そしたら良い大学いかないと!と思い、高校三年生の4月から勉強を始めて、塾にはいっていなかったんですが、卒業する頃には、四天王寺のトップ30に入りました。

当時、毎日勉強を教えてもらった先生には感謝しています。そして、関大法学部、関学法学部を、当時キムタクが主人公のHEROというドラマをやっていたので「カッコイイ!法学部行こう!」と思って受け、大阪府立大学経済学部経営学科を受けて、3つとも受かりました。そして、親に「大阪府立大学へ行くんだったら車の免許代を持ってあげる」と言われて大阪府立大学への進学をきめました!

 

大学でのアルバイトで学んだお金の使い方の大切さ

 

 

ー大学ではどのような生活を送られていたのでしょうか!

入学したら、コンサルになると言っていたことや感冒性胃腸炎にかかっていた事は忘れ、自営業を志していました!そして、自営業のイタ飯屋さんでバイトを始めたんです。15時くらいに起きて17時から24時くらいまで働いて、そのまま遊んでまた起きて、ということをしていました。でも1年半くらいで終わりました。社長はイタリアで修行をしていたりと、しっかりとしていたんですが、原価計算などをしていなかったんです。売れれば売れるほど赤字になるケーキとかを売っていたため自己破産したんです。

そこでお金の使い方を知らないと、楽しい事って続かないんだなって思いました。そして学校に行ったら、たまたま公認会計士のセミナーをやっていたんです。そこで、「会計士になろう!」と思って、2年の終わりから勉強を始めました。4年生の8月に試験を受けたんですが、会計士落ちたんです。

そしたら、親が「8月まで就職活動もしないで、お前どうするの?俺養えへんで」って言われ、すぐに、日本生命を受けました。当時格闘技が好きだったので、K-1とプライドの違いについて支店長クラスの方々に40分くらい語っていたら2次面接、3次面接を飛び級させてくれて内定して、半日で就活が終わりました(笑)そして、9月だったか10月だったかの日生の内定式にあたかも就活頑張りましたという顔をして参加していました(笑)

 

ーどうやったら面接で格闘技の話になるのか、、、(笑)就活でも勢いがすごいですね!日本生命はどんな職場だったんですか?

色々な人にも会えました。法人に関しては、テレアポや飛び込み営業で新規を取ってこなければいけなかったです。パソコンは使用するのに毎月3000円かかっていたし、電話も社内に公衆電話があって、テレホンカードでテレアポをしたんですが、それも自腹なので、無駄なく効率化していくという事を学びました。

また、上司がとても良い人でした。チームごとにやり方が違うのですが、リーダーは「接待だけで仕事とるな」という人でした。ファイナンシャルプランナーも持っていたので、プランニングをしっかりとしてこいっていう人で、競合の商品を知ることなども教えて貰いました。

また、彼女が本当に色々なことを知っていたので、真似をしようとしたことが非常に勉強になりました。私の職場は、普通のルート営業と違って、業種が多岐に渡りました。公的機関もありましたし、大手商社とか、大手ホテルにも行っていました。

その時に身につけたのは、アポを余裕を持って入れておいて、アポの直前に本屋やコンビニに行って、業界のビジネス紙を立ち読みするという術です。すると30分はバカに見られないんです。だから30分で引くようにしていました。すると、次の提案に繋がるんです。上司が、保険を愛想だけで取らなくて、「この人にとって本当にいい提案なの?」という事を口癖にしているような人だったので業界の分析の手法などを学べました。

 

日本生命から上場したばかりのライクへ就職した理由

 

 

ー保険屋さんってひたすらゴリゴリ押し込むような営業スタイルの方が多いと思っていたのですが、素敵な方に会えたのですね!日生の仕事から変わるようになったきっかけを教えてください。

大阪の心斎橋で当時遊んでいたのですが、クラブなどにいる自営業の人に「企画をしたいんですよね〜」というと、自営業の人たちが「企画書何本書いてきたんだよ!」、「企画やりたいやりたいって言うけど、実行するのどれくらい難しいと思ってるんだよ」って怒ってくれたんです。本当に良かったと思うんです。この怒られた話を、仕事のお客さんとかにもしていました。

どんなお客さんかというと、帝国データバンク等の調査機関の評点は高いけど、後継者がいなくて、何か投資をする際に、従業員のために保険で担保するような会社の社長や新規事業や経営企画を担当する幹部でした。すると「君は自分で勉強をするタイプの人間じゃないでしょう!」と言われました(笑)そして、「企画をするにしても数字のことを理解していないと難しいよ。だから上場している会社か、上場を準備している会社の経理として入りなさい」と言われました。これがターニングポイントでした。1年目の終わりの話です。

 

ー仕事を辞める時って、結構大変だと思うのですが、どのように辞められたのでしょうか。また現職との出会いについて教えてください!

はい!そこから、新規は迷惑をかけるので積極的には取らないけど、数字は達成すると宣言し、実際に私は、4ヶ月分くらいの数字を達成してからやめました。そのため今でも日本生命さんとは付き合いがあります。在職中は保険にも入っていなかったのですが、今の会社に入ってから、事務所に遊びに行って自分でプランニングして保険に入り、昨年手術をした時も同期がスムーズに手続きしてくれました(笑)退職するときは、絶対に、円満退社をした方がいいです。関係ないと言って周りに迷惑をかけて辞めていく人もいるんですが、せっかく積み上げてきた人脈とか後にも生かした方がいい。しっかり責任を果たして辞めた方がいいと思っています。

そして、前職を7月末に辞めて8月1日から就活を始めて今の会社には8月10日で決まりました。正直、この会社にどうしても入りたかったわけじゃなくて、リクナビを適当に探して、業種とかどうでもいい、上場しているか、上場準備をしている会社で探していました。本当に会社のことも何も調べずにいきました。当時、ジェイコムという名前だったので(2016年12月にライクへ商号変更)、ケーブルのJ:COMと間違えている状態でした(笑)

そしたらミラクルが起こったんです(笑)あまり家にいない人なのに親が家にいて、面接に行く前にどこ行くの?と言われ、「ジェイコムだよ」と答えたら、「おおお!誤発注の!」といって東証が上場するときに発注ミスをしたという有名な出来事を教えてくれました。それがラッキーでした。面接の時に「うちの会社で何を知っていますか?」と聞かれ「誤発注ですよね」って答えられたからです(笑)あれで「ケーブル」と答えてたらきっと落ちていたと思います。内定をした時の最終面接では、「数字の勉強がしたくてきました。経理をしたい訳じゃありません。3年くらいを目処に、企画とか新規事業をやりたいので辞めます」と、今思うと、ふざけたことを言ったのに入る事が出来ました。そこから怒涛の日々の幕開けでした。

 

ライク入社直後の暗中模索時代

 

 

ー我堂さんは現職のライクに就職されてから、最初はどのようなことをされていたんですか?

マザーズに上場したばかりだったんで、有価証券報告書等の開示担当がおらず、入社してすぐに任されました。ただ、営業経験しかなかったのでイスにずっと座っていることすら苦痛で、会計の知識がないどころか、パソコンも使えず、ワード、エクセル、パワポすら全く出来なかったので、当時の上司から2週間もたたないうちに「なんも出来ないな・・・」と言われました。試用期間に「どうすんの」って言われてクビになりかけ、「頑張ります」と答え、そこから、監査法人の人に「財務諸表規則何条とか言われてもよくわからないから、監査六法の何ページって言って!」と言って、有価証券報告書を作りました。

それからは、会計士が持っている人脈と知識を全部身に付けようと思って、出来もしないのに、会計ソフトの入力から決算・開示業務は全部振ってくれと言っていました(笑) M&Aとかも振ってくれって言っていたので、デューデリもしていたのですが、正直「やりたい」って言うんじゃ無かったと思っていました。何がわからないのかすらわからなくてただただ辛かったです(笑)

 

ーわからない中での暗中模索、本当に大変そうですね。他に管理の仕事をしていく中で不満のようなものはありましたか?

2つ納得いかないことがありました。直営しているdocomoショップやsoftbankショップの経理を担当していたんですが、お店の店長に指示を出す係なんです。1つめはお店のことが分からないのに、「ああしろこうしろ」と言うことにすごく違和感があったんです。だから、何をしていたのかと言うと実際にお店に行ってお店の事を教えてもらいに行きました。会社では「なんで我堂いないんだ?」「納得いかないって言って出て行きました!」という感じだったそうです(笑)京都と大阪と兵庫県に1店舗ずつお店があって、店の人と仲良くなって、店長の代理も出来るようになりました。

2つ目は営業と管理の壁です。営業は営業、管理は管理、と壁のようなものがあったことに違和感を感じていました。なので私が提案書などを作って営業のサポートを行っていました。当時はパワポで提案書を作れる人がいなかったんです。私も使えませんでしたが、ある日、机にパワポの本がバサッと置かれて「お前がIR資料を作らなければ会社が潰れる」みたいなことを言われ、適当に触っていたり、他社の資料の素材をパクったりするうちにできるようになりました。結局、本は1ページも見なかったです(笑)

 

提案書が書ける経理から役員へ

 

 

ー現場に行く経理って聞いたことないです(笑)どうして、管理部門にいたのに、提案書の作成ができるんですか?

なぜかというと、ショップにいっていたからです!当時は携帯電話の販売員の派遣やアウトソーシングが主流だったのですが、営業はそういったショップの運営代理店等に営業をかけます。私はショップで店長と仲良しで、店長の代理ができるレベルだったので、「こういう業務で困っている」、「こんなスタッフが欲しい」と言うお客さんの気持ちがわかったんです。

当時、上場したてで人が足りなかったので、直営店の店長たちが総合人材サービスの営業へ異動になり、経理のために業務全般を把握していた私が、本部担当者として、キャリアさんとの会議への出席や、店のスタッフの面接や、寝坊をするスタッフの指導や、閉店時のレジ閉め等までしていました。営業さえ良ければいいのか、とかなり不満を抱え、キャリアさんや代理店さんとのほうが仲がいいくらいだったのですが、それが功を奏しました(笑)当時は、不満ばかりでしたが、私のIRに説得力がある、とお話いただくことがあるのは、間違いなくこの時に培ったもののおかげですね。

ー信じられないくらい元気ですね(笑)そういえば、我堂さんは、会社には3年しか居ないと決めていたんですよね?

そうなんですよ。私は会社を辞めるつもりでいたので、辞める人間が部下を持つことは無責任だと思い、「役職付けないでくれ」って言ってグループリーダーになることすらも拒否していたんです。入社して3年たつ27歳の時、社長に、「経理なのに外に行ってるとか文句を言ったことはあるか?M&Aとかやりたいと言ったことはなんでもやらせてるし、社外のサポートも紹介してるし、うちの会社でできてないことって何かあるの?」というようなことを聞かれ、「確かに無いなー」と思って「無いです」と言った途端、副部長になる訳です。2009年の12月でした。

次の年にその時の部長が辞めることになったんですが、私が28歳だったので、幾ら何でも28歳女性の管理部長は早いということになり、大手企業出身の方とかを呼んでくるんですが、当たり前ですがマネジメントはできても自分で手を動かせないこともあり、スピード感が合わなかったんです。それで、結局、私は経理以外はしたことがなかったのですが、総務、労務、法務などもやることになりました。また、何がわからないのかすらわからない、という時代が来て、最初の時より責任も大きくなったので、毎日辛かったですね。

 

ーしんどい状況をどう耐えたのでしょうか。

「やりたい」と言ったからにはやらないとなという責任感が一番ありました。「やります」と言ったから自分のポジションを採用していない。知識やスキル、経験がないことは社長もわかっていて任命しているから、望めばサポートをつけてくれる環境にある。だからこそ「自分のポジションは全うしなければ!」と思いやりました。たとえ出来なくても途中で投げ出すのはダメだなと思っていました。岐路に立たされた時には、「死ぬ時後悔しないか」と考えて選ぶようにしています。

 

東証一部上場企業役員の苦悩と展望

 

 

ー順風満帆のように見えましたが大変だったのですね。

そうですね。ただ、あの時があったから同世代や、他社の同じ役職の方とは違った、深くはないけど広い知識と人を巻き込むというスキルがついて、今やっているような楽しいことができるようになったんだな、と思っています。いまだに簿記3級すら持ってないですけど、資格とか経験とか、今となってはどうでもいいですよね(笑)

また、“しんどいことには何らかの意味があるから仕方ないや”といういい意味での開き直りもできました。

実は、2017年も、M&Aで会社も増え事業規模も大きくなる中で、労務責任者として働き方改革で何が何でも社員は早く帰らせないといけなくて、「組織が大きくなっていくと、大きい企業なりの仕事の仕方をしなければならないのかな?」「そしたらベンチャー気質の私は邪魔になるんじゃないか?」とか悩んでいたんです。

そんな時、人生で初めての人間ドックに行ったら卵巣に8センチの腫瘍が見つかって8月末に手術をしました。その時、ある経営者の方が「我堂さんのコピーを作るのか、組織を作るのか、せっかくだからゆっくり考えたら?」と言ってくれたんです。社会に影響力のある規模出していくにはやっぱり個人より組織だなーとか思っていたら、入院している間に会社が「組織作ろう」という方向へ動いていました。退院したら、社長が「うちは、どベンチャー」と言っていて、世の中の流れも、どんな理由があれ働くことは悪、という風潮が薄れてきていて良かったなと思いました。2週間も経たずに復帰できたのですが病気になった経験から、私自身の考え方も、どベンチャーも緩やかに働くのも共存して、自分のライフステージに合わせて働き方を選べたらいいんじゃないのか、というように変わったことも良かったと思います。

 

ーそれが全て力になっているのですね!我堂さんは今後どんなことをしていきたいですか?

管理部門は会計ソフトの入力や有価証券報告書の作成等は自分でしなくていいくらい手も離れたので(笑)、ライクグループを大きくするための動きをしていきたいです。社長のすごいところは、誰がやってもそこそこ伸びるビジネスモデルを作れるというところなんです。だから伸びるんです。でも、他に、保育も人材も介護もやっていて、待機児童問題、介護離職問題、働き方改革、っていう日本の社会問題を一挙に解決している会社は他にないんです。社会的に良い事をしているので、これからは事業規模を出していかなきゃならないと思っています。

最近、よく言っているのは、「今までは知っている人は知っているインディーズバンドだった。これからは、武道館とか紅白とかを目指していく」ということです。そしたら新しいことをしなくちゃならないですし、片手間でやってきた仕掛けを本格的にしなければならない。

経営管理部長としては守りを固めた上で、グループ事業推進担当としては、将来の柱となる事業を推進したり、いろいろな企業と会って、いろいろな人とジョイントしたり、スタートアップ支援をしたりもしています。(先日、高校三年生で起業したスタートアップへ出資したことが話題になりました!

最近、うちの社長や大手法律事務所の有名女性弁護士等、「10年後絶対もっとおもしろくなるから」や「40代もっと楽しくなるから」とか言われることが増えたんで、楽しみですね。

私は恵まれています。支えてくれた人が沢山居ました。多分、「我堂を育てたのは俺だ、私だ」と思ってくださっている先輩がたくさんいらしゃると思います。だから“楽しそうに生きていることが恩返し”かなって思っています。

ー楽しそうに生きていることが恩返しってとても素敵な考え方ですね!最後に、Q-SHOCKの読者に何かメッセージはありますか?

当時は女性で最年少で取締役になりましたが、私は特殊な人じゃないよって言うことですね。

今まで生きてきた中で「やりたいことを無理やり見つけなくてもいいんじゃない」って思っています。私は、これをやりたい!という信念は無くて、それぞれの時期に「面白そう」って言うものに飛びついて来ました。とはいえ、仕事ですから役割もあるので振られる仕事には嫌なものもあり文句を言っていたり(笑)、悩んだりもしているんですが、絶対に後々役に立つようになると思います。

 

ーたしかに我堂さんと話していると、不可能とかなさそうですね!

ありがとうございます。「これができたらな・・・」っていう壁があるとアイディアや工夫が生まれやすいんです。私は、壁があるたびに、ツギハギみたいに知識をつけたり、できそうな人を探して巻き込んだりしています。自分や誰かがやりたい、ということを実現する部署も作りたいと思うようになりました。

そして2018年4月に「グループ事業推進部」として思いが形になり、組織拡大に向け、絶賛採用強化中です。

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早稲田大学大学院卒の27歳。 Tokyo XR Startups、レオス・キャピタルワークスにおけるインターンを経て、早稲田起業家養成講座に触発されDARSと共にQ-SHOCKを開始。現在は、for Startups, Inc.でヒューマンキャピタリストとしても活躍中。趣味は読書とカフェ巡り。ビールが大好き。
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