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なんでも優しく答えてくれる小笠原治さんに、仕事やテクノロジーの未来について聞いてきた

楽しく働く人を応援するメディアQ-SHOCKをご覧の皆さんこんにちは。タカタタンです。
ABBALab株式会社、nomad代表取締役、さくらインターネット フェロー、DMM.make エヴェンジェリスト、awabarオーナー、fabbitオーナー、株式会社メルカリ R4D シニアフェロー、京都造形芸術大学 教授…etc これが1人の人物の経歴になります。
働き方として、一社で勤め上げるという選択肢以外に、副業/複業/パラレルワークなどの言葉も出てきた昨今ですが、今回は新しい働き方の先駆けとなる小笠原治さんを取材してきました。

プロフィール

小笠原 治(Osamu Ogasahara)

1971年京都市生まれ。1990年、京都市の建築設計事務所に入社。98年より、さくらインターネット株式会社の共同ファウンダーを経て、ネット系事業会社の代表を歴任。2011年、株式会社nomadを設立し「Open x Share x Join」をキーワードにシード投資とシェアスペースの運営などスタートアップ支援事業を軸に活動。13年、ハードウェア・スタートアップ向け投資プログラムを法人化し株式会社ABBALabとしてプロトタイピングに特化した投資事業を開始。同年、DMM.makeのプロデューサーとしてDMM.make 3Dプリントを立上げ、14年にはDMM.make AKIBAを設立。15年8月からエヴェンジェリスト。同年、さくらインターネットにフェローとして復帰。2017年より、京都造形芸術大学教授に就任。同年、社会実装を目的とした研究開発組織mercari R4Dのシニア・フェローに就任。他、経済産業省 IoT推進ラボ 審査委員、データポータビリティに関する検討会 委員、福岡市スタートアップ・サポーターズ理事等。

 

ABBALab、DMM、さくらインターネット、メルカリなど多岐にわたってご活躍される小笠原さんの行動の源泉とは

 

–小笠原さんは本当にたくさんの会社に関わってらっしゃいますが、何か成し遂げたい大目標のようなものはあるのですか?

 

私には絶対に成し遂げたいことなど、特にありません。最初、さくらインターネットにジョインした時も、創業者の田中さんの夢に乗っかって、そこで起業とかスタートアップが楽しいということを知りました。そしてABBALabとかDMM.makeとかを立ち上げて、さくらインターネットに戻ったのは、14年ぶりでした。モノを作るだけではなく、コネクテッドなものを作ろうとした時、ネットのインフラを提供しているさくらに戻って、IoTとかをやりたいと思ったのです。

 

一貫して自然な流れに乗っているだけで、目的を持って突き進んでいるようなものではありません。現在は技術の転換期なので、4〜5年後に必要だと思うことを作るときには、色々なところでやらないと、やりたいことが実現出来ないんです。エコシステム全体に関わりたいと思ったら、何でもいいんですけど、、、例えば、「インフラです」「コンテンツ屋です」「プラットフォーマーです」「サービス屋さんです」とかとか「何処か」にいると、そこしか見えなくなっちゃうんです。

 

ちなみに、どこに行ったとしても、私としては、「よっしゃーやるぞ!」というのは全くないですね(笑)そういうのが向いている人はそうすればいいと思いますが、私は違います。awabarも、「飲食やるぞー!」って始めたわけではなくて、「そういう場所いいよね」って作っただけだし。

 

小笠原さんが語る新たな働き方の選択肢

 

 

–やりたい事を行動するまでが凄まじく早くて、何よりその数が多いですね!そういえば、awabarの社員の方もとても新しい働き方をしていますよね。新しい働き方についてお考えを聞かせていただけますでしょうか。

 

みんな他のことをしているしね。(笑)最近は新しい働き方が出てきたと思いますし、これからもっと広がって行くと思います。

でも、従業員という働き方が古いというわけではなく、良い悪いでもなく、従業員が合う人も合わない人もいると思います。これは多様性の話であり、私のように、いくつかのプロジェクトに「参加」し、自分のやりたいことをやらせてもらうという考え方もある。逆に、どこか一つに参加するという考え方もあります。

 

ただ事実として、今は一つのところにいても、得られる情報は薄くなってきています。だからこそ、色々なところにいて、実感値を得て情報を得るということは非常に大事になってきます。

 

だからパラレルワークという言葉も出てきた。パラレルワークという事が前提になると、固定化された働き方が必要ではない人も現れてきます。でもそれは、「どっちかが良い」というわけではないと思っています。

 

 

–小笠原さんの話を聞いて「いいな」と思う方も出てくると思うのですが、大学生や若いビジネスマンがこれからパラレルワークを目指すためにはどうしたらいいですか?

 

大事なこととして忘れちゃいけないのは、パラレルワークをするにも、何か軸みたいなものが必要になるという事です。基本、やらなくちゃいけない事があって、やらなくちゃいけない事をやり続けていると、自分のできる事が増えて、自分のできる事が評価されて行くと、やりたい事が出てきて、やりたいことをやっていると、新たな期待が生まれて、やらなくちゃいけない事が増えて、、、、というスパイラルがどんどん大きくなる。これが成長と呼ばれるものです。

 

これが逆にいうと、やらなくちゃいけない事があるのに、やりたいことばかり言っているとか、やりたい事があるのに、できることに留まっているという状態になります。できる事があるんだけど、やらなくちゃいけない事に縛られているとか。それは辛いですよね。

 

自分がどのタイミングで何をやるべきなのか。自分は何ができるのか。やりたい事にチャレンジするのか。何かができる事があるのであれば、それを評価してもらって、やりたい事につなげていけば良いのです。自分ができる事がないのであれば、自分がやらなくちゃいけない事をたくさん与えてくれるところに行って、できる事を増やすと良いと思います。その時には一箇所にいて、集中した方がいいかもしれません。

 

–小笠原さんご自身が働く時に大事にされているルールがありましたら、お聞かせください。

 

私は自分が何かができると思えていません。だから、できる人にやりたい事に気づいてもらい、できる人を集める事が私の仕事だと思っています。「色々なことをしているね」って言われますが、自分でやっているという気持ちは実はすごい弱いんです。

 

今だと、“政府衛星データのオープン&フリー化“”という経産省のプロジェクトを私たちのチームに委託していただいています。ここには、例えばNECから衛星開発をしている女性が来ています。彼女にはさくらインターネットに出向してきてもらい、衛星データのプラットフォームを作ってサービス化していただいています。わざわざNECから出てきてもらっているのは、彼女が今までの、衛星を開発する、衛星を売るという事ではなく、「衛星のデータを活用して、宇宙をビジネス化したい」という強い思いを私が感じられたからなんですね。こんな風に連れてくるのが私の役割です。私じゃできないので。

 

オンラインかオフラインか、ではなく、オンラインもオフラインも

 

–小笠原さんの活動として、インターネットというソフトの会社にいながら、awabarやDMM make AKIBAというようなハードを持った場所を提供するといった活動もしておられますが、どんな思いがあるんですか?

 

例えば私は、京都造形芸術大学で、毎週授業をしております。そこでも直接伝えるのとネットで伝えるのは両方必要だと思っています。

 

京都造形芸術大学では、受験が終わると、入学前に“0年生プログラム”というものがあるんです。そこで私のコースの学生にはSlackに入ってもらって、「その代のロゴ作りをしよう」という活動をしています。そこではまず、Slack上にロゴのデザインを皆さんが上げて、皆さんでコンテストをして、皆さんで決めた作品が出て来ます。

 

そこで、プロのデザイナーに入ってもらい、微調整して頂きます。そして、最後には、入学式の時にパーカーなどにして、学生にあげるんですね。こういうモノとして手に入ったりといったリアルなところが嬉しいんです。こういう取り組みのようにネットもリアルも同じ空間に置いてしまう方がいいかなと。

 

知識とか情報に関してはオンラインでいいと思っています。そこから、先を考えていく、昇華させていく際にはリアルな場、大学の授業とかも必要になってきます。だから、フィジカルか、ネットか、ではなくて、どちらも現実だよねと思っています。どっちか、という考え方はアンバランス。ネットとフィジカルの間を行き来していくと振り子がだんだん大きくなっていくような感じがして、個人的に好きなんです(笑)。

 

今とは全く違う。ポスト・スマートフォンのテクノロジー

 

 

–ちょっと広い質問になってしまうんですが、長くテクノロジー業界にいらっしゃる小笠原さんから見て、今後のテクノロジーってどう変わって行くと思いますか?

 

昔話をしますね。初めてコンピューターを触ったのが10歳くらいでした。MZ-80K というシャープのコンピューターで、当時の記録媒体はカセットテープでした(笑)ファックスと同じ原理で、音で記録するんですよ。CPUも、Z80という8ビットのマイクロプロセッサでした。

 

そんな時代、全部の家庭にマイコン(パソコン)があったら世の中変わるねって言われてました。その数年後には、一人に一台コンピューターを持たせたいと起業家たちが声を揃えて言っていました。スティーブ・ジョブスも、ビルゲイツも、ウォズニャックも、アランケイも、きっと孫正義さんも、全員そういう夢を見ていました。そして今、完全にそうなっていますよね。

 

現代に目を移すと、もう私なんてちっちゃいコンピューター(iPhoneとandroidを指して)二台持ちだし、カバンにはiPad入ってます。では、みんなが10年後とか20年後とかにスマホ使っているかというと、、、絶対違うモノを使っているはずなんです。

 

 

それって、“今作っているモノ”を使っているはずなんですよ。

実はもうスマホの普及率って急カーブでは上がっていないんですよ。日本はガラケーというイノベーションのジレンマでスマホへの移行が遅れていたので 、まだまだ余地があるように見えますが世界中の多くの地域でほとんどがスマホからつかい始めてる世の中で、ずっとこれが続くとは思わない。

 

皆さんガラケーからスマホの時に経験しているはずなのに、これから起こらないって感じちゃうのはとても私の中では「?」なんです。ブラウン管のテレビは、ほぼ全家庭にありましたがほぼ全部なくなりましたよね。同様の変化が、今から起きるに違いありません。でも皆さんは起きない事を心のどこかで望んでしまっている。この状態が私にとってチャンスだと思います。

 

そういう意味ですと今取締役として入っているtsumugの作っているコネクティッドロック「TiNK(ティンク)」はすごい楽しみなんです。いまみんな物理的な鍵を持っていますよね、これを皆さんが持たない日は、絶対に来ると思っています。

 

小笠原さんが思い描く、テクノロジーを活かした未来の日本とは

 

 

–広い質問になるんですけど、小笠原さんが世の中全般に対して最近思っていることがあればお聞かせいただけますか?

私は、小学校から通信制の学校があってもいいなと思っています。教育の「教」と「育」を分けたいんです。「教」というのは基本的には知識、情報を伝える事で、そこはオンラインでもいいと思っています。その人にあった時間軸の中で学ぶ、1年生で3年生の分までやってもいいし逆に3年間かけて1年生のことをやることでそのあと急に速度が上がる人もいるかもしれない。「教」のところで人との比較が悪い方に出ないようにしたい。なんとなく頭のいい人が上、とかじゃないほうがいいなと思っています。

 

それとは別に「育」があります。育成です。こっちはフィジカルな場みたいなのが必要だと思うので体を動かしたり、遊んだり、コミュニケーションをとったりということに特化する。そこにはあんまり成績はないんです。そこを分けると割とうまく回っていくのではないかと思っています。

 

–「教」も「育」も両方やるとなると、先生が忙しすぎますよね。Q-SHOCK始めたきっかけも、働くのは耐えることだと考えている先生の存在を知り、これをどうにかしたいと思った事が一因でした。

 

本当にそれどうにかしないと怖いですよね。私は「働く」が最大の娯楽になると思っています。やはり楽しい瞬間は皆さんあると思うんですよね。しんどい部分が自動化されて人間がやるべき仕事じゃなくなればいい。例えば雨や雪の日に道で交通量をカウントしている、あれって人間のやる仕事ですかね。カメラ一台で良いと思いませんか?そういった仕事をどんどん自動化していき、残った仕事が人間のやりたい仕事のはずなので、そこは娯楽になると思います。

 

 

私は、日本を世界で一番おじいちゃんおばあちゃんが安心して快適に楽しく暮らせる地域になったらいいなと思っています。その状態というのは多分遠慮をあまりしなくていい、自分の望みを理解してくれるとか、そこもAIやロボティクスといった自動化がすごい絡んで来ると思うんですよね。例えば趣味で一眼レフで写真を撮るというのはしたいことだからそれを自動化するのは違う、しかしおじいちゃんおばあちゃんになってものを持って出かけるのがしんどい人にとっては自動で写真が取れるというのはいいことである。このような快適な状態へ、いかに作っていくかを考えています。

 

例えば、自分が寝たきりになった時に“排泄”って自動化されて欲しくないですか?人にやってもらうのはすごい遠慮してしまいませんか?そういうのをどんどん自動化して、おじいちゃんおばあちゃんが快適に暮らせるようになって、例えば他の国から資産を持ったおじいちゃんおばあちゃんが日本に来てくれるようになったら、その資産の運用で若者にチャンスが生まれるかもしれないですよね。

 

日本は一つの文化がずっと続いているように思われがちですが、違うんです。例えば京都は古いものを守る町と言われていますが、戦前までは新しいものをどんどん取り入れている地域であったはずなんです。若手の労働力としての移民、となるとすごい感情的な抵抗もあると思いますが、他国のおじいちゃんやおばあちゃんが文化や資産を持って日本に来てくれたほうがいいと思います。こうして文化が混じっていくことで新しい日本ができてくる。快適に暮らせていればおじいちゃんおばあちゃんも元気でいられると思います。

by
早稲田大学大学院卒の27歳。 Tokyo XR Startups、レオス・キャピタルワークスにおけるインターンを経て、早稲田起業家養成講座に触発されDARSと共にQ-SHOCKを開始。現在は、for Startups, Inc.でヒューマンキャピタリストとしても活躍中。趣味は読書とカフェ巡り。ビールが大好き。
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