楽しく働く人を応援するメディア

トランスリミット高場CEOが語る、世界を獲るゲームの作り方

楽しく働く人を応援するメディアのQ-SHOCKをご覧の皆さん、こんにちは!タカタタンです!この度は、“楽しい”の代名詞であるゲームを作っているトランスリミットさんの高場CEOにお話を聞いてきました。

 

プロフィール

 

高場大樹(Hiroki Takaba)

1986年生まれ。福岡工業大学卒業。2009年、株式会社サイバーエージェント入社。サイバーエージェントでは、全社システム・ネットワーク、Ameba Pico World(海外版アメーバピグ)、Animal Land、レジェンド・オブ・ディアボラス、ガールフレンド(仮)に開発者として携わった。

その後、2014年1月、株式会社トランスリミットを創業。同社が2014年5月にリリースしたスマートフォン向けゲームアプリ『Brain Wars』は2,000万ダウンロードを突破、さらに1年後にリリースした『Brain Dots』は累計4,000万ダウンロードを突破、創業直後から立て続けにヒットタイトルを生み出した。2018年4月には同社初となる大規模タイトル『Craft Warriors』をリリースし、500万ダウンロードを突破。3タイトルで累計6,500万ダウンロードを超え、米国や日本を含むアジア圏、ヨーロッパ圏を中心に海外ユーザ比率は95%を超える。

同社は、クリエイティブに強い会社を目指して、クリエイター中心の組織づくりを行っており、社員の90%以上がエンジニアとデザイナーで構成されている。

 

目標はゲームで世界を獲ること

 

 

ーートランスリミットさんって素敵な響きですね。社名の由来をお聞かせいただけますか?

トランスリミットは、「トランス」と「リミット」のワードから成る造語で、「リミット」つまり「制限」に対して、「変わる、移り変わる」みたいな意味を持つ接頭語の「トランス」を付けることで、「制限を制限としない」または「枠を作らない」みたいな意味合いです。限界を作らないという解釈から「限界突破」というようなストイックな意味合いでも使われたりします。トランスリミットって響きがよく勢いを感じるワードなので、ロゴはメーターのマークにしました。

 

ーートランスリミットさんが『Brain Dots』や『Craft Warriors』といった大ヒットゲームを作られている会社だということは知っているのですが、特にこだわっていることはありますか?

世界を獲るということ、すなわち「グローバル規模のヒットタイトルを生み出すこと」ですね。

日本のIT企業においては、国内向けのビジネス展開が上手い会社は数多くありますが、世界に向けてサービス展開を出来ている会社はほとんどありません。その課題に対して、僕らは真っ向から勝負する形で、世界市場で存在感のある会社になることを目標にしています。

仲間になる人も「世界を獲る」ということに共感してもらえる人に来て欲しいです。

 

ーーなぜ世界を目指すのですか?

僕はエンジニアとして、キャリアを歩んで来ましたが、技術者としても利用者としてもインターネットの素晴らしさを実感してきました。インターネットの素晴らしさというのは、たくさんの要素がありますが、私はその中でも「どこでも同じ情報にアクセスできたり、どこからでも同じサービスを利用出来る」という点であると考えています。

僕はエンジニアとして、いち技術者として、このインターネットの可能性を最大限に活かしたビジネスがしたいと思っているので、国内だけでなく全世界にサービスを提供して、日本人だけでなく世界中の人が使えるようなサービスを作っていきたいと思っています。

 

–なぜ高場さんは世界を目指し、他に世界を目指す起業家が少ないのでしょうか。

まず自分が世界を目指す理由から話をすると、ただ純粋にインターネットを使ってビジネスをするのだから、当然のように世界を視野に入れたビジネスをしたいという思いです。「自分が手掛けたものをより多くの人に使ってもらいたい」という、ただそれだけです。

後者の質問に答えるならば、皆は口々に「世界展開」と言います。世界展開というのは、国内に軸足を置いてる時に出てくるワードかなと思っていて、日本で成功してから世界を目指すというよくある戦略のように、世界を意識はしているけど、それぞれ国内の方が優先度が高いのではないでしょうか。

私たちは、日本に拠点を置く会社ですが「全世界向け」にサービスを提供する会社であり、国内国外を定義せず、全世界向けにビジネスをしているつもりです。

 

ーー世界を獲りたいとは、起業当初から思ってらっしゃったんですか?

起業当初どころか、大学時代からずっと思っていました。

大学時代から将来はIT会社を作ろうと思っていて、工業大学に進み情報システムやプログラミングについて勉強をしていました。当時から思っているのですが、Google、Facebook、Microsoft、Appleなど、世界のIT企業の巨人たちを調べると、どの会社もエンジニアリングを競争力にしていて、会社の成り立ちから技術者が経営に参画しているケースが多くあると思っていました。日本のIT企業が世界レベルに達していない理由は何かなと考えた時に、色んな要素が考えられるのですが、私は日本企業の経営層にエンジニアが少なく、技術的な知見を経営に活かせていないのではないかと思ったんです。

だから、僕は、エンジニアとして実力をつけた上で起業をしようと考えました。そこで、IT系で手広く事業をやっていて、早くから良い経験を詰めそうな企業を探して、サイバーエージェントへと辿り着きました。

 

配属はまさかの人事!?高場氏のサイバーエージェント時代

 

 

ーー他にも経験が積めそうなメガベンチャーがいくつかある中で、サイバーエージェントのどこに惹かれたんですか?

今でもよく覚えているのですが、会社説明会に行った際に、簡単なスライド1枚で「シリコンバレーに小さなオフィスを作りました!」という紹介がありました。マンションの一室を借りて、市場調査目的で小さくはじめたところのようでした。当時、現地に行っていたのはたった2名だけでしたが、「サイバーエージェントって海外にも進出しようとしているんだ」と感じ、そこからより興味を持つようになったのを覚えています。その後、トントンと面接が進み、すぐにエンジニア採用で内定が出ました。当時はサイバーエージェントが新卒エンジニア採用を始めて2期目という時期でしたね。

 

入社後にエンジニア研修を終えて、僕は「ブログをやるのかな?」とか「ピグをやるのかな?」とか、どこに配属されるだろうって考えていたところ、なぜか人事に配属されたんですよ(笑)なんだこれはと思いましたね、、、運命のイタズラってやつです。

 

「エンジニアで入社したはずなんだけどなあ」と思っていたのですが、実際はサイバーエージェント全社のシステム・ネットワークを扱う情報システム部門への配属でした。情報システム部門というと、通常は独立した組織だと思いますが、当時のサイバーエージェントは急拡大していた時期で、情報システム部門も組織の変化に柔軟に対応する必要があったため、人事部門役員の直下に属していたというわけですね。

 

全社の基幹システム・ネットワークを扱っているにも関わらず、メンバーは僕を含めてたった3名のチームでした。それから2年ほど、新拠点を設立する際の拠点内ネットワーク構築、全国に跨る拠点間ネットワーク構築、社内で利用するサーバの構築、情報セキュリティ対策及びソリューションの導入、全社に無線LAN環境の構築など、基幹システム・ネットワークという関連で多岐に渡る仕事をさせてもらいました。

 

基幹システム・ネットワークなので、各部門に対する仕事はもちろん、たくさんある子会社に対する仕事や全国の拠点にも出向くことが多かったので、社内でも結構顔が広くなっていきました。

 

自分で手を動かし作業をすることもありましたが、基本的にはプロジェクトマネージャーという立ち場での仕事が多く、ある課題に対して、解決のソリューションを検討し、数千万円規模の大きな予算を預かって、外部の協力会社と協力して目的を達成するみたいなことをやることが多かったように思います。複数プロジェクトを同時に進行することが多かったので、短い期間で色んなことを知ることができました。

 

プロマネというのは、技術的な知識だけでなく、現場や経営層といった社内でのコミュニケーションが多く必要で、ビジネスサイドとエンジニアサイドの両面の能力が必要でした。ビジネスサイドの方に技術的な説明ややることの意義を説明するのは大変でしたね。プロマネというと、通常は現場を経験した人がやると思いますが、僕は運良く新卒時代からやらせてもらうことができました。

 

また、役員の直下でやれたこともとても貴重な経験でした。当時は言っていることが良くわからないこともありましたが、いまではあの時の意味合いを理解することができるようになりました。その後、サービス開発部門に異動することになるんですが、エンジニアをやっているとビジネススキルはほとんど求められませんし、役員直下で働くこともなく、この経験が本当に貴重な経験だったと後から再認識しています。

 

 

仕事自体は技術的なものが多かったのですが、人事部門に配属された新卒ということで、人事に求められることは採用側に配属された同期と同じように求められました(笑)電話が鳴ったらワンコール以内で取れとか、電話応対のやり方、名刺の渡し方、メールの書き方、新聞を読むとか、ビジネスサイドでは当たり前に求められるようなビジネススキルを鍛えられましたね。トレーナーの先輩がものすごく厳しくて、新卒時代は毎日怒られながら過ごしていました。当時は「こんなことして、自分のキャリアに意味あるのか?」と思う節もありましたが、いまではとても感謝しています(笑)

 

サービス開発部門に異動、海外向けサービスの開発に携わる

 

情報システム部門で2年間ほど働いた後、自分の希望で海外向けサービスを手がける部門に異動させてもらい、そこからサービス開発一筋で3年間、サーバーサイドエンジニアとしてキャリアを積みました。

 

異動してはじめの1年間は、技術的な基礎知識はあれど実務でのサービス開発という意味では現場経験が無かったので、先輩によく怒られたり、「もっと努力しないと、これからエンジニアとしてやっていけませんよ」とか、小言を言われながら過ごしていました(笑)その先輩は、弊社現CTOの松下だったりします。

 

サービス開発に求められるスキルを身につけるのには、それなりに時間は掛かりましたが、技術的な基礎知識はあったのと、根性で、必要なスキルを急速に身につけられたと思います。その半年後には、人をまとめる力を買われて、開発チームのリーダーになっていました。リーダーをやることで責任と裁量が増え、それまで以上に急成長できた感があります。

 

ビジネス部門と開発部門の両面を見てきた経験からすると、サービス開発の方が、人を相手にすることが少なく、仕事はとても気楽に感じました。その反面、開発してもサービスがヒットしないとサービス終了となってしまい、自分がやった仕事がゼロになってしまうという厳しい世界ということも感じました。情報システム部門の仕事は、全社貢献だったので、やった仕事がゼロになることはありませんでした。

 

その後、一定の実力が着いたと感じたところで、最後に携わったプロジェクトで同僚として1年ほど一緒に仕事をしていた現CTOの工藤と一緒に起業をすることにしました。サイバーエージェントでは、情報システム部門に2年、サービス開発部門に3年というキャリアでした。

 

ーーこの時、人事に配属されて、良かったなと思われたことってありますか?

人事部門はもちろんのこと、上場企業のコーポレート部門を知れたことはとてもいい経験になりました。サイバーエージェントのコーポレート部門は横のつながりが強く、人事、労務、総務、法務、財務、広報、IRなどコーポレート部門はひとつのフロアに集まって、ひとつの横軸組織という体制でした。横の繋がりが意識された組織体系で、他部門との交流が多かったり、人事部門と財務部門にいる2人の役員が近い環境にいたりと、コーポレート部門がそれぞれどのようなことをしているかイメージすることができました。また自分の仕事を遂行するにあたり、それぞれの部門に協力を仰ぐことが多く、一緒に仕事をすることも多かったので、それぞれの実務もそれなりに理解をすることができました。

 

この経験は、社長として会社を経営する上でとても良い経験になりました。創業からこれまで、コーポレート部門は全て私が責任を持ってやっているので、サイバーエージェントのノウハウや仕組みをかなり参考にさせていただいています。弊社は創業から5年ほどの会社ですが、守るところは守る堅実な経営ができているという自負があります。

 

ーー希望の部署に配属されなかったら拗ねそうなものですが、、、。もし拗ねている若手がいるとしたら、どういったメッセージを送りますか?

社会人として大切なことは社内外に仕事の実力を認められることや、期待以上の成果を上げていくことだと思います。

僕は何であれ、世界に向けたサービスをつくりたいという思いがあったので、それを成し遂げるために多少の遠回りはしても最終目標をブラさずに進めました。なので、短期的な満足や手段に固執することは重要ではなく、成し遂げる目標に向かって進むことの方が重要だと思っています。

仕事の報酬は仕事、成果を出していれば面白い仕事が舞い込んでくるし、自分の主張も通りやすくなっていくものです。

 

元エンジニアの高場さんが、起業家として大切にしていること

 

 

ーー高場さんが話を聞きやすいので聞いちゃいますが、社長のお仕事の妙味を教えていただけますか?

僕は、自分が作ったサービスを多くの人に使ってもらえることに価値を感じるので、本質的には社長でもエンジニアでもなく、総監督やプロデューサーみたいな感覚で仕事をしています。これまで作った全作品は僕が企画していますし、コードも書くし、デザインもやるし、プロモーションもやる。それこそ素晴らしいサービスを作るために、良い人を採用したり、チームも作るし、会社を経営する。結局、素晴らしいサービスを作るために必要なことなら何でもやります。

 

その前提のもと、社長という立場なら自分が作りたいものを完全に形にできる。これが社長としての一番楽しい仕事です。ただ難しいのは、作ること自体や使っている技術だとか、手段に価値を見出すとビジネスは成り立たないということ。僕は心の底から作るのが楽しいからやっているんですけど、作って楽しいだけではビジネスにならなくて、ちゃんと売れないと、いずれ作りたいものも作れなくなるんですよ。

 

今は幸い、作りたいもの作って会社が成り立っているわけですけど、これが売れなくなってしまうとビジネスとして成り立たないので、その内たたむしかなくなる。どのみち稼がないと会社をやっていけないというのが、作りたい思いと相反する部分があって、バランスが難しいところだなといつも思います。

 

ーーまた、良いものを作り続けるためのポイントは?

1本目より2本目、2本目より3本目というように、常にステップアップすることを目指しています。ゲーム作りは再現性が難しいと言われていますが、僕らは何とか再現性のあるものづくりをしようと頑張っています。ひとつひとつ経験をしてノウハウや技術を溜めていき、過去の経験があるから次が作れるみたいな感じで、少しずつでも良いから着実に成長したいですね。

 

高場社長が、父親起業家として想う事

 

 

ーーFBの投稿でいつも拝見させていただきますが、お子さんを溺愛されていますよね。育児と経営ってどういう風に両立されているんですか?

妻に感謝するばかりですね。妻の支えがるからこそ、子育ても仕事もできているのだと思います。

僕としては、家族との時間はもちろん大切にしていますが、仕事の時間も同じように大切にしたい。社長である以上、時には仕事を優先しないといけない時もあります。起業して以来、ずっと楽なタイミングはなく、仕事の比重が多い生活をしていますが、妻の支えと理解があるからこそ、成り立っているのだと思います。

子どもたちには、楽しそうに働く父の背中を見せられたらなと思っています

 

ちなみに、子どもたちは本当にかわいいですね。2歳半の息子は段々とやんちゃになってきて、7ヶ月の娘は、寝返りが様になってきて、コロコロ転がって移動しています。毎朝、息子を保育園に送るのが日課です。

 

ーー経営者として、子どもがいて良かったなと思う瞬間ってどんなときですか。

結構ストイックな性格なので、外にも出ないし、基本的に仕事以外はしないといった感じなんですけど、子どもが生まれてからは、子育てに頭を使うことが多くなりましたし、公園に遊びに行ったりもする。それがリフレッシュにもつながっていると思いますし、単純に可愛いので癒やされますよね。子どもと遊びながらも半分は仕事のことを考えていますが(汗)

 

あと、起業家としては大人になれるという面もあります。子どもがいないと、子どもがいる家庭のことは理解できないと思います。人が増えてくると必ず子どもがいる家庭も出てくるだろうし、若い時には分からなかったようなことも分かるようになってきたので、人として成長できるし、優しくなれる。なので、年を取るとだったり、家庭を持つと丸くなるみたいなことって、やっぱりあると思います。ちなみに、弊社の既婚率は半数以上で、その半数以上は子どもがいますね。

 

ーー子どもにはこういう風に育ってほしいみたいなのってありますか?

僕は勝手に、体力バカにしたいと思っています。僕は田舎育ちなので、本当は田舎で育ってほしいところです。けど、僕の仕事の都合上、無理がありますので、土日とかは公園に連れ出して、存分に体を動かさせたりしています。

 

僕は長く野球をやっていたので、いわゆる体育会系なんですが、これから先は体力バカが少なくなると思っています。時代錯誤感はあるかもしれませんが、「体が強い」や「精神力が強い」ということは、生きていく上で競争力になると思いますし、仮に将来は社長になりたいというなら、その2つに自信がないと長くは持続しないだろうと思います。

 

あとは、勉強を無理やりさせるつもりはないですが、知恵のある子どもには育てたいと思っています。好きなことを見つけて、それに没頭して欲しいですね。僕も父親の背中を見て育ったので、僕自身が父親として背中を見せることが、子どもたちにとって良い影響を与えられるのではないでしょうか。

by
早稲田大学大学院卒の27歳。 Tokyo XR Startups、レオス・キャピタルワークスにおけるインターンを経て、早稲田起業家養成講座に触発されDARSと共にQ-SHOCKを開始。現在は、for Startups, Inc.でヒューマンキャピタリストとしても活躍中。趣味は読書とカフェ巡り。ビールが大好き。
SNSでフォローする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です