みなさん、こんにちはDARSです。今回はクラウドワークス社にて創業期から上場までCFO(最高財務責任者)としてご活躍されていた佐々木さんにインタビューを行いました。自らを意識低い系学生だったと称する佐々木さんがCFOというキャリアを歩んだきっかけや即レスの重要性など、タメになるお話ばかりですので、是非最後までお読みください。
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東京都日野市出身。現在33歳。父はカメラマン、母は絵本作家とクリエイターの元で育つ。明治大学付属明治中・高卒業後、明治大学経営学部へ入学。大学在学中に株式会社アエリアでインターンシップを経験し、大学卒業後にアエリアへ入社。株式会社アクワイアCFOを経て、株式会社クラウドワークスCFO就任、立ち上げからIPO(新規株式公開)を経験。2017年12月にクラウドワークス社のCFOを退任。現在は、フリーランスとして複数の会社のアドバイザーなどを務めている。
–学生時代からベンチャーでインターンをされていたんですね。もともと起業などにご興味があったんですか?
はい。両親がカメラマンと絵本作家だったこともあり、自分が描いたものや創ったものが世に広まったり、少しでも世の中を動かしたりするということを身近に見ていました。なので漠然と、自分が生み出したなにかによって世の中が変わっていくということに興味というかあこがれがあったんですね。
とはいえ、中学受験を小6でして付属校に入学したので、受験勉強とかもせず、大学2年までは特に何も頑張っていることが無い状態でした。麻雀はよくしていましたが(笑)その時にふと「このままじゃなんかまずいな」と思い始めたんです。当時mixiがちょうど流行っていて、世に大きなインパクトを与えているのを見て、起業だったら自分にもできる、起業しかないという気持ちが芽生えました。
ちょうどその頃、経営学部に在籍していたので、まずはということで授業の延長線上で簿記2級を取得しました。
–いわゆる意識低い系だったんですね。アエリア社インターンのきっかけはどんな感じだったんですか?
いきなり起業する、というのも無謀だなと思っていたのでまずは社会を知ろうと思ってたときにインターンの存在を知って、インターン合同説明会に参加したことです。合同説明会は大手企業に多くの学生が着席をして話を聞くという構図だったんですが、その中で席がガラガラの会社がありました。そこがアエリアとの出会いです(笑)着席してみると、会長と当時CFOの須田仁之さんがいらっしゃって説明をしてくれました。会社の上層部が2人も来ていて、しかも上場している会社(当時はヘラクレス上場半年後)なので、後日、一度詳しい話を聴きに赤坂にあるアエリア社のオフィスへ行きました。
上場しているのにこんな雑居ビルに入っているんだと最初は面白半分でしたが、須田さんが「俺、上場企業のCFOだけど簿記3級落ちたよ。簿記2級持ってるなら、管理部で来週からインターンしなよ!」と後押ししてくれたことや、管理部のインターンって事業にちょこっと触れるような普通のインターンと違うところが面白そうだと思ったことが決め手となり、アエリア社でインターンを始めました。
–インターンを実際に始めてみてからはいかがでしたか?
当時、子会社のゲームポットが上場準備をしていたので、アエリア本社の管理部の人たちは殆どがそちらに出向していました。上場企業の管理部なのに人も少なく猫の手も借りたい状態。そんな環境では、即戦力でも無い私に即戦力的な動きが必要だったんですね。
いきなり「開示資料を作れ」とか「連結決算のキャッシュフローを作れ」とか業務未経験かつ学生の私にものすごい無茶振りが来ました。何も分からない中で、分からないなりに調べながらやっていきました。全てが初めてのことなので、インプットの量が全然違うんですね。経営学部に在籍していましたが、大学の勉強とインターンでは得るものが100倍以上違うなということにそこで気づいたんです。インターンがどんどん楽しくなり、大学へは出席必須のゼミだけ週1で行って、週4〜5日は仕事をするという生活にシフトしました。すると、大学4年生の時には、一人で連結決算を回して、監査法人対応も行い、開示資料も全て作るくらいにはなっていました。無茶振りだけど任せてくれた須田さんには本当に感謝ですね
–無茶振りに対して、佐々木さんはどのように乗り越えられたんですか?小手先のことでも構わないので、教えて欲しいです!
基本的にポジティブなので、何も失うものがなく得るものしかない状態と捉え、楽しい筋トレをするような感覚でやっていましたね。小手先の話だと、とにかくレスを早くすることだけは意識していました。何かを依頼された時って、分からなくても一旦受け止めることはできますよね。例えば、「これやっといて」と言われて「はい!」とか「いつまでにやります」という返事を一瞬ですることはできます。
レスが早いと仕事のチャンスがくると思います。「なんか迷った時にはとりあえずあいつに聞いてみよう」となるし。なので、今でもレスを早くしてます。
あと、須田さんに叩き込まれたショートカット術は今でも役に立っています。
–レスの速さの重要性はありますよね。たくさんの連絡が来る中で、レスの優先順位とかもぶっちゃけつけたりするもんですか?
全く決めてないですね。優先順位考えている暇があるなら、返すことが重要だと考えています。とにかく、来た球を全てすぐに打ち返す。無駄なことは考えないということを意識してます。
ボールを自分で持っていると後から話が大きくなったりすることもあるので、とにかく反射神経が重要ですね。管理系だと細かい仕事が多いし、溜めて行くとチリも積もればになりますし。
–CFO(最高財務管理責任者)という仕事をやって、よかったことや他の人にCFOをオススメするポイントはありますか?
3月にクラウドワークスを辞めて、ありがたいことにオファーをたくさん頂くんですね。オファー的には100社くらいたぶんあって、50社くらいとお会いしました。
今、世の中的では資金がベンチャーに流れているので、ファイナンス周りがわかる人間、つまりCFOのニーズは高まっていると思います。
そこに対してベンチャーの管理系をわかる人、やれる人が圧倒的に足りていないという印象がありますね。。
–不足している背景としては、「CFOをやりたいんだ!」って人がまだ少ないんですかね。
そうですね。あと、管理系の仕事をしてCFOを目指すという選択肢に気づいていない人が多いですね。なぜかというと、金融機関での経験や会計士の資格が必要なんじゃないかとか先入観がありそうです。でも、私もたまたま簿記二級を持っているというところからキャリアをスタートしていて、そのような経験は一切ないし、世のイメージよりもハードルが低いと個人的には思っているので、目指す人が増えて欲しいですね。
その分、希少性が高く、競合が少ないため、市場価値が高いことも大きなメリットだと思います。運よく上場できればストックオプションでのリターンもありますし、それがなくとも市場のニーズはいくらでもあるので、リスクはほとんどないんじゃないかなと。
–たくさんの会社からオファーを受けられてますが、今後はどうされるんですか?
んーどうすればいいんですかね(笑)現在はいくつかの会社を手伝っています!
–以前から起業にご興味があるとのことでしたが、ご自身がトップになって、会社を立ち上げる予定はないのですか?
起業って、自分が社長でオーナーである必要性は特にないと思うんですよ。うまくいっている社長ってちょっとおかしい人が多いと思っていて、良い意味でのサイコパス性があるというか(笑)経営ってチームなので、僕は社長として引っ張って行くというよりは、バランサーとしての役割が向いていると思うので、そういった人をを支えて行く感じがいいかなと思ってます。
–有意義なお話をたくさんありがとうございます。Q-SHOCK恒例の質問を色々とさせてください。20代や学生に佐々木さんが伝えたいことって何ですか?
20代の人には、転職をするなら大企業を選ぶのも良いですが、「何を経験できるか」という軸で会社を見て欲しいですね。CFOを目指すという観点だと、例えば大企業で経理をやると同じ仕訳を永遠にやってるよりも、子会社や上場したての会社で一通り経理を回していたみたいな経験の方が絶対に市場価値高いです。
–ありがとうございます。インターンを経験されていたからこそ、学生に伝えたいことも教えてください!
エンジニアとかになりたいなら、死ぬ気でプログラミングやったりした方が良いです。4年もの時間があればモノになります。
遊びたきゃ遊べばいいと思います。でも、一番良くないのは大学生活を通じて、堕落していくことですね。大学生活って堕落する要素がたくさんあるんですよね。正直サークルとかほぼ無駄だと思ってます(笑)
そんなことに時間を使うくらいならインターンした方が良いですね。大学だけにずっといると目線が下がっていきます。
ベンチャーはヒリヒリする勝負を日々していきます。一方で大多数の大学生が日々呑んだくれたり遊びまくったりする生活を日々していますよね。どっちに身を置いた方が自分のためになって得るものが多いか考えた方が良いと思います。
僕も3年からインターンでも遅かったなって思っているくらいです。
–最後に、佐々木さんがキャリアを積んでいく上で大切にされていることを教えてください!
計画的偶発性というキャリア論があるのですが、僕の考えとしてはこれにすごい近いです。これだけ不確実性の高い世の中においてはキャリアプランみたいなものは意味がないと思ってて、ただ一方でつねにチャンスをつかむ準備をしておくというか。アエリアのきっかけをくれた須田さん、クラウドワークスの代表をしている吉田さんともたまたまの出会いでした。ただ、そのたまたまが起こり得る場所に身を置いていたし、そのための準備はしていたと思っています。それがとても大事だと考えていますし、今後もそうやって生きていこうと思っています。