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“幸せの黄金比は愛とデータが51:49であること”性格診断ディグラム・ラボ所長の木原さんが語る

Q-SHOCKをご覧の皆さん、こんにちは豪Uです。

皆さんはこれまで性格占いや、性格診断などを一度はしたことがあると思います。それは興味本位であったり自身の性格を知るためなど目的は様々かと思いますが、自分の性格を本当に理解できていますか?

そこで今回はディグラム・ラボ株式会社を設立し代表取締役兼ディグラム・ラボ所長である木原誠太郎さんにインタビューをさせていただきました。

このディグラム診断は統計データ分析や心理学をリサーチ実務経験に基づいたものであり、私も実際に診断しましたがものすごい的を射た診断結果で驚きです。(診断はこちら

このディグラム診断を開発された木原さんのこれまでの経緯やディグラム診断についてお話ししていただきました。

プロフィール

 

木原 誠太郎(Seitaro Kihara)

1979年1月16日生まれ。1997年に法政大学経営学部に入学。2001年に株式会社電通リサーチに入社。2005年に株式会社Newhandsを設立。2009年に株式会社ミクシィに入社。2010年に株式会社電通に入社。2013年にディグラム・ラボ株式会社を設立。「性格ミエル研究所」(フジテレビ系) 「スッキリ」「有吉ゼミ」(日本テレビ系)などテレビ出演多数。

 

データをより刺激的で面白いものとして表現する

 

ー早速ですが、学生から現在に至るまでの経緯を教えてください。

私は大学は一般受験で入りました。その勢いで入学当初から勉強をしていて簿記や中小企業診断士の勉強を始め、大学1年生の頃から大原簿記学校に行きました。

経営学部に入りマーケティングや会社経営などに興味がありました。なぜなら父親が大きい会社に勤めていたのですが辞めて会社経営をしていたからです。大学二年生の時に父親の会社を手伝おうと思い、勉強を始めました。そこでコンサルタントの資格を取りにいこうと思ったのですが、勉強をしているときに自分でやった方が早いのではないかと思いました。

そこで地元の友人と集まり起業家活動を始めたんです。ビジネスコンテストなど現在もあると思うのですが、私は1997年入学の2001年卒で、当時は孫さんなどがでてきてITバブルといわれる時代でした。1997年は世界史の話でいうとIMFの通貨危機があってリーマンショック前のもっとゆらいでいた時期で、かつ就職氷河期でした。また、自分たちの実力でなんとかしないといけないと言われていた時代でした。このなかで大学2年生から4年生まで起業家活動を行っていました。

私は就職活動をほとんどしておらず受けたのは3社程度でしたが、結果的に電通グループに入りました。なぜかというと、ビジネスコンテストなどで人前で話すことやクリエイティブなどにすごく興味がありました。これらは得意だったのですがデータがとても不得意で、当時はコンテストなどでデータの根拠がないと言われたんです。ただプレゼンの勢いとクリエイティビティは満点だと言われたときに、であればデータの会社に行こうと思ったんです。

なので仕事をするのであれば不得意なことの仕事をしようと思い、電通リサーチに入りました。その時周りの友人は驚いてしましたけど笑。

 

ー驚かれていたのは不得意なことを仕事としていたからですか?

いや、そうではなく会社作るんじゃなかったっけ?といった感じです笑。大学のなかでも会社を作ると思われていましたし、その気でいたのですが突然違うことを始めたからだと思います。

しかしこれはいい意味でも人の期待を裏切るということなんです。起業家集団で活動をしていてあえて大手に行くというのも面白いかなと思いました。

電通リサーチは、人の人情味がありとても暖かく馬が合う会社で、居心地も良く4年半ほどいました。しかし起業家マインドをずっと持っていて、自分のやりたいことをマーケティングやクリエイティブを通じて世に表現したいとずっと思っていました。

それが大企業に行ったら絶対できないと思っていたのですがこの会社は割とできました。その時に私はコピーライティング講座というものに通っていました。なぜかというとコピーライターは文字でモノの表現をするのですがデータは結果的には記号でしかないため、それをもっと刺激的に面白くしたり、そういった表現方法があるのではないかと思うようになったんです。

当時の広告業界も面白くて、電通や博報堂などの大きい会社からスピンアウトすることがすごく多かったんです。2000年初頭はクリエイティブブティックというのが広まった時でそれにすごく憧れていました。データをもとにクリエイティブできるのはすごくかっこいいなと思いました。そこで2005年にNewhandsという会社を作りました。この会社に社員はいないんです。

 

ー社員なしでやるとはどういったことでしょうか?

自分が社長でクリエイティブプロデューサーでやり、フリーランスの方がいて自分の責任でやるといったことです。いまでは当たり前のことのようにありますが当時では希でした。いまから14~15年前の話ですが当時私は20代だったためクリエイターは安く買い叩かれてしまうんです。コピーライティング一発30万のものを10万で頼まれたり、それが重鎮の人だと一発500万で行っていたり、差がすごく激しかったんです。

 

ー若さという面で少し下に見られていたということですか?

いま思えば実際に実力もなかったのですが、もっとできるのに!といった感じでした。

Newhandsは新米という意味なのですがもっと新しいことをやってやろう!といった意味です。それをやれたのはすごく良くて、30万で出した見積もりを最低でも100万円で出せるようなフリーのデザイナーさんやコピーライターの人とやれるように、その三倍の価値が私の価値でありプロデュースの価値です。私はデータを持っているのでデータできっちりやっていこうというのが当時の仕事スタイルでした。

20代の後半にこのようなことをやっていたのですが楽しすぎて身体が病気になっていたのに気がつきませんでした。当時、ガンになってしまい直腸ガンで直腸を切ったのですが、経営者ってそういったことなんだと思います。

本当は健康がすごく大切なので健康を害してまで仕事をするのがかっこいいなんて全然思わないですが、結果的にそうなってしまいました。

その後、5年間はサラリーマンやろうと思いミクシィに行き営業のマネージャーのような感じで広告をやりながら調査をやったりしていました。その時に診断コンテンツというのがSNSのミクシィ時代にすごく流行して、爆発力と拡散力があるなと思っていました。

しかしデータのエビデンスなどといった部分をしっかりやらなくては、社会的に間違えたものを出してしまうのではないかと考えたのがいまのディグラム診断が生まれたきっかけです。もともとデータ屋さんがコンテンツに触って、「面白ければいいじゃん」でいいのですが、私自身科学の人間としてちゃんと当たるものはなんなのだろうということを思ったんです。私の場合は後天的で入社してからデータに触れるわけですが、嘘偽りなくあなたの性格はこういうことですよ、としっかり言いたくなったんです。

 

転職を通じて感じる唯一無二で再現性のないキャリア

 

ーミクシィから電通へ、そしてディグラム・ラボ設立まではどのような経緯だったのですか?

統計データに基づいた心理学×統計学ということで、ものの絡みの中でちゃんとしたものを作りたいと思い、更にいうと個人的に勉強し始めたんです。

そういった活動を通じて、次を見据えるようになりミクシィを辞めて今度は電通の本体に行きました。そこはリサーチよりももう少し広い事業企画やコミュニケーションを考える上での戦略を考える部署にしました。

しかし当時3.11の震災が起きて、テレビも全部止まりACの広告ばかり流れていました。その時に、私が家族テーマについて企画書を作っているなか、これが本当に幸せなのかと思いました。

結果的に私はデータなどを話すうえで嘘をつかずに人の幸せや、人を助けてあげることがやりたいことなのだと思いました。電通でやっていたことが嘘だったということでは全くないのですが私がやりたいことはここなのかと思いました。

そこで、やっぱり起業しようと思い会社を作ったのがいまのディグラム・ラボです。

ディグラム・ラボ社の最初にとった戦略は、社員を雇わないというものでした。自分ができるところまでしかやらないということで、取締役は1人いてその人はデータを作り私は喋るという形でずっとやってきていました。

「ディグラム」とは2010年ごろに私が作った造語でdepth insight gramという言葉で深層心理をグラム単位で測りましょうというものです。認知率でいうと0%で、誰も知らなかったことからいま、テレビやメディアに出させてもらい知ってもらうまでに相当な苦労をしています。普通であればテレビCMをしたり、ありとあらゆるコミュニケーションを取らないといけないのですが、私がとった戦略は私がタレントとなりテレビに出るというものだったんです。これが斬新で新しくて基本誰も真似できないんです。

一応私はデータマンでありながらクリエイターでもあるので人が絶対にできないもの、再現性のないものをやりたかったんです。誰もできないことをちゃんとやるということやり始めて早6年やっています。

テレビのタレントをやりながら会社の社長をやって、企業のマーケティング課題や戦略課題ブランド課題をしっかりと解決するようなこともやっています。いままでのキャリアのことを全部やっているんです。なので私は人格が何個もあるんです。なのでそういう誰もやっていないことでもしっかりやればできるという、わかりやすい範疇で行うことはすごく難しいんです。

 

ーそのギリギリのラインを責めるのって難しいですよね

はい。ただ簡単なものを難しく言うのはものすごく簡単なんです。データ屋さんをすべて否定しているわけではないですがデータ屋さんってすごい簡単なことを難しく言っているんです。そうではなく、とてつもなく難しいことをすごく簡単に言って周りの人に「それできるよ」って言わせているんだけど真似ができないものを作るというのが、私はかっこいいと思っていてそれをディグラム診断ではやっているんです。

なので私たちがやっていることは一見ものすごく簡単に見えます。20問の質問に3択で答えて31パターンの性格であなたの性格こうですねって。「でもそれわかるよ診断でしょ」となるのですが、じゃあやってみて!というと絶対できないんです。なぜならこれまでの社会的受流や運も含めてきているので。この会社が残っていること自体が奇跡だと思っていて、最初の企業とか自分のキャリアデザインを考える上において、唯一無二だし私がもう一度20歳に戻ってこれをやれと言われても無理だと思うんです。

 

他とは違うディグラム診断は「定性的」であり人に寄り添うこと

 

ーディグラム診断を見ていて、ほかの性格占いや診断とは異なると思うのですがほかの診断とは違う部分はどこですが?

データであるということはお伝えした通りなのですが、アプローチの方法がものすごく定性的であるということなんです。データと言われると何%っていう定量データばかり追いがちなのですが、私は定量ではなく定性的なものを大事にしています。

会社の名刺を見て貰えばわかると思うのですがこの意味わかりますか?「幸せの黄金比は愛とデータが51:49であること」が幸せなんですよ。つまりデータ屋さんは100%データであった瞬間に機械になってしまうわけなんです。そうではなくて定性的な、この人何考えているんだろうとか、この人のことを良くしてあげようとか、そういった人に対する配慮であるとか、愛情がないとデータなんて意味を持たないんです。

わたしは2001年からデータの勉強や仕事をさせていただいて思ったことは、データは変わるということです。ムカつく行動をとったら人に嫌われるし、いいことをしたら人に好かれるんです。だとしたら人に良いことや好かれる行動をするべきであって、私自身もディグラム診断も基本的には人をポジティブに変換するもの以外はやりません。

データで人の社会生活に寄与するのは当たり前でちゃんとした愛情を持ってきっちりやりきる。人にプラスの感情を持たせるようにやるのが私達の仕事です。つまり困っている人や悩んでいる人たちがいたら全力で助けてあげることです。

あとはdepth insight gramの深層心理をグラム単位で測るっていうことに関していうと、自分の性格って分かっているようで分かっていないんですよ。なぜなら状況によって変化するものだから。すごい良いことあったら嬉しいし嫌なことあったら嫌になるじゃないですか。

人ってナマものなのでそれにしっかりと則してあげられるように常に助けるようにしています。

 

人が面白いと思うことの裏にあるデータをもとにしたエビデンス

 

ーいくつかのメディアをみさせていただいていて面白いなと思ったのですが「たけのこの里派は浮気されやすい」や「焼肉で最初にタンを食べる女はモテる」といったものもすべてデータに基づいたものなんですよね?

クロス集計というものがあるのですが例えば合コンでモテる人モテない人とか、これはデータの概念が分かっていないと難しいのですが、うちではたくさんのデータを持っているわけです。このなかでたくさんの項目があって、女性のこういう性格の人はこういう傾向が多いとか、そのなかで合コンでモテる人・モテない人という軸などもあり、モテる人は焼肉を頼む時にタンを頼む人がいたりするんです。

言葉で伝えているものよりもデータをもとにエビデンスがあってやっているわけです。本来データというのはこうあるべきで、データは前に出るべきではなくて骨組みであるべきなんです。なので焼肉屋で牛タンを頼む女は合コンでモテるとか、そういったものは100%ではないけれども、みんなが面白いと思っているものをちゃんとデータとして確率が1%でも高かったら出すべきだと思うんです。もちろん非難を浴びる時もあると思います。しかしそういうことをちゃんとデータで見せるというのは、データマンかつエンターテイナーとしてのプライドだと思います。こういうバックデータがあってやっているということに気がついてる人もいれば気がついていない人もいるんですけどね。

 

自分の軸はキャリアの中で形成されるものではなく既にあなたの中にある

 

ー最後になるのですが木原さんの思う「楽しく働くコツ」はなんですか?

2つあります。環境は変えても自分の芯はブレずに、芯を通せということと、逃げる時は逃げて良いのではないかということです。20代の話であれば私も何度か逃げていますし、逃げたくなったら逃げたほうがいいと思います。でも自分の心はブレちゃいけないんです。自分のキャッチコピーなどつけると良いかもしれませんね。私は18歳の頃にkeep on movingということを決めていました。

 

ー「『軸』はキャリアのなかで形成されるものだ」と話す人もいれば、自分たちのような学生は自分の軸って何かな?と感じる人も多いと思うのですが、これから軸が出来てくるものですか?

いや、そんなことはなく、軸はもうありますよ笑。私も18歳の頃なんて軸は考えていませんでしたが、とにかくなにかしら行動していました。それが今、考えてみると軸になるなってことだと思うんです。あとから軸はついてくるという人もいるかもしれませんが、そのようなものは変な話、幼少期の頃において形成されていると思います。もちろん、ものすごいショックを受けて変わることはあるかもしれませんが、ビジネスをやるのであれば8割くらいは出来上がっていますよ。だから自己分析は8割くらいだと言っているのもあるのですが。余地を少し残して8割くらいで良いんですよ。

軸を見つけるには毎日動き続けることだ思います。そのため何か思ったら行動することだと思います。あとは学生であればいまのうちは徹底的にインプット、本を読むことをオススメします。

 

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法政大学キャリアデザイン学部2年 現在Q-SHOCKのSHOCKERとして活動。 趣味はドライブとプロ野球観戦。
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