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ARイノベーションを牽引する! Graffity Inc CEO森本俊亨の起業ヒストリー(前編)

Q-SHOCKをご覧の皆さん、こんにちは。タカタタンです。

本日は、私は実もインターンをしていたTokyo VR Startupsのインキュベーションプログラムの3期に採択をされ
空間に落書きができるARアプリ「Graffity」をリリースした、CEOの森本俊亨さんに話を聞いてきました!

起業に興味がある方や、人生の岐路に立たされた人間がどのように意思決定をすればいいのか。
若干23歳にして最高にイケてる起業家森本さんのインタビューを読んで、ヒントを掴み取ってください。

前編では、森本さんが起業を志すようになった経緯から、実際に、1社目を起業されるまでのストーリーを語っていただきました。

森本俊亨
2013年慶應義塾大学入学後、東京大学起業サークルTNKに入会、2013年12月から10期代表を務める。同年12月から、株式会社リブセンスでwebマーケティングをインターン生として行いつつ、バイラルメディアCMworldをリリースし、リリース2ヶ月目で100万PVを記録。6月にリブセンスを退職し、2014年8月に会社を設立し、オンラインでオーダーメイドスーツを販売するビジネスを開始し、学生で初めてSBイノベンチャーコンテストで決勝に残る。2015年4月より機械学習分野に注力、東大の松尾研が主催する講義GCIへの参加、ニューラルネットを利用した自然言語処理アルゴリズムdoc2vecを利用したソリューション開発を行う。その後、株式会社ABEJAで、CEO・COO直下で修行、最先端テクノロジーの商業化に関して教わる。最先端のナレッジを蓄積し、DeepLearningの実装速度向上させるために、現在はドワンゴAIラボにてリサーチャーを行なった後Graffity Incを起業。AR時代でイノベーションを牽引するカンパニーを目指す

起業家を志したモチベーションの根底にあるもの

–森本さん、先日のTokyo XR StartupsのDemo Dayはお疲れ様でした!早速ですが、小学生から起業に至るまでの経緯を聞かせてください!

わかりました。起業をするきっかけを話すと、小学生の夢がそもそも発明家で、エジソンに憧れていたので、
その頃から、“歴史に名が刻まれる事をしたい!”と考えていました。
一生は一度だからこそ、それくらいインパクトを残すことをやりたいと思っていて、実際に行動として発露したのが、高校で生徒会長になった事でした。

高校の生徒会長になると、何代生徒会長という名前が残るじゃないですか。
歴史が刻まれるので、「やろう!」と意思決定をしました。

(森本氏の生徒会長時代。目は真剣そのもの)

–歴史に名を刻む、という軸で生徒会長になる方って、世界広いと言えど、森本さんくらいなんじゃないですか!そこでどのような気づきを得ましたか?

まず、歴史を残すために何かやるというのは、矛盾があるのでは?と生徒会長になってから気付きました。目立ちたいという動機で、いざ生徒会長になってみると、同級生や全校生徒を動かす力も何もなかったんです。成績の順位も上から数えたほうが早いけれども、成績の順位も上位20%に入るくらい。トップではなかった。綺麗事で「学校をよくする」とか言っていたけど、「どうせ本気じゃないだろう」と思われていました。振り返ってみると、リスペクトを勝ち取れてない感じだったんです。完全に自分に実力が伴っていなくて、生徒会長をやっていても、暫くは、何も結果を残せない状態が続きました。目立ちたくてやっているのに、結果、苦しんでいる状態に自分が立たされていることに気がつきました。

 

–なるほどですね。目立ちたいだけじゃダメだったんですね。

歴史に名を残すのは、あくまで結果論なんです。
学校でいうと同級生のため、全校生徒のためになる事を考えて、結果を残さないと生徒会長としては認められない。すごい人にはなれない。
ということに途中で気がつきました。そこからは、全校生徒のために、とにかく頑張りました。
そして最後に、卒業式の言葉を言う時があって、卒業式代表の言葉を、頑張って作り読んだのですが、最後に「お前が生徒会長で良かった」
と言ってもらえたんです。

一番大事な事は、より多くの人を幸せするということ。歴史に名を刻みたいんだったら、全人類の生活レベルを変える。すると結果的に歴史に名が刻まれるということを、頭で理解するのではなく、体で理解していきました。

 

起業家になることを決めて入った起業家サークルTNK

–人のために尽くした結果、歴史に名を刻むことができるんですね。その学びが、森本さんの起業とどのように結びつくのか教えてください。

はい。私は、受験で、東京大学を目指していました。A判定をとっていたんですが、本番に失敗をして、落ちて慶応に行くことになったんです。目標が急になくなり、人生がつまらなくなったとその時に感じると同時に、目標を達成しようとしている過程がもっとも楽しいことに気づきました。その時に人生の目標を立てようと考え、2013年の3月の中旬18歳の時、どうやって歴史に名を刻むのか考えました。結果、選択肢は3つあると思いました。
1 つ目は、日本の国民にフォーカスをして総理大臣になること。2つ目は、研究で理論的な発明をしてノーベル賞を狙うこと、3つ目はジョブスを目指して起業家として生きるという事だと思いました。東大に行けないので、総理大臣とノーベル賞は選択肢から外しました。それで、「俺だからこそ、世の中に名を残せるのは起業なんじゃないか?俺は、一生起業家であろう」と意思決定しました。そこから私の起業ストーリーは始まりました。何かを目指して、努力することが楽しい!人生一度きりなんだから、一番大きなものを目指そう!と。

 

–ありがとうございます。そこで森本さんは何か心に決めた事はありますか?

将来に先行して努力する事を決めました。夢を達成しない一番の原因は、諦めることです。そして、諦める時には、「過去の俺、努力しとけよ!」と思うじゃないですか!だから「先行して努力すべき!18歳の今から努力すべきだ!」という発想に至り、起業家ということに対して、自分の全時間を割こうと意思決定しました!一番俺がやりたいことに対して、今から時間を使わないと、28歳の僕とか30歳の僕とか、将来僕自身が諦めていくことになる。
でも、そうはなりたくなかったんです。

 

–明確な意思を持って人生を歩まれていますね!東京に出てこられてからの話を聞かせてください。

それで東京に出てきて、俺は日本でトップの企業を作るんだから、トップのコミュニティに入るしかない。調べたらTNKがあった。そして入りました!最初に思ったのは、「10期の中で俺が一番イケてる」という事でした。さらに、TNKの組織自体が色々と問題があるという事に気が付きました。だから、9期の代表の村本さんに、入ってすぐに、「俺が代表になります」と言って、実際に2013年12月にTNKの代表になりました。

(TNKの代表をしていた頃の森本氏)

–代表の宣言が早い!(笑)なんでこんなにスパスパと意思決定ができているんですか?

ジョブズを参考にしているからだと思います。ジョブスが好きで、スタンフォードでのスピーチがバイブルになっていました(笑)
リスニングの教材に使うくらい好きで、何か、道に迷った時に聞くものもスティーブズの音声でした。18歳の意思決定の時も聞いていました。例えば、ジョブズは、「人生の8割は仕事です。だから好きなことをしたほうがいい。好きなことをやるべきだ。自分は、運がいいからコンピューターが見つかったので、そういうものを探そう。」というような旨のことを言っていて、私も、「自分が好きなものはなんだろう」っていうことを探していました。「鏡の前にいて自分が明日死ぬとしたら今日ベストなものができているのか?ということにイエスといえるか」ということも意思決定の材料としてオススメです!

 

–心のメンターを見つけていたわけですね。先ほど、TNKの現状を変えるべく、代表をされたとおっしゃっていましたが、実際に何をしたのですか?

TNKの代表になった時に、日本の起業界隈が変わっていく事を感じていました。理由は、Gunosyがおそらく上場するっていう雰囲気だった(2015年4月28日に上場)からです。そうなると必然的に、Gunosyの代表が所属していたTNKが注目される。ということは、TNKに多くの優秀な人たちが入ってくる。でも、優秀な人たちが入ってきても、現在のTNKには彼らが育たない環境になっている。当時のTNKは、イベントをしているサークルだったんです。

 

–なるほど。ズレを感じたわけですね。そこで、森本さんは、TNKをどう動かしていったのでしょうか。

なんで起業をしたいのにイベントをしているの?起業するんだったら、サービスを作ろうよ!と思いました。「起業家サークルなんだから、起業家団体にする!」と言うのが私の立てた、1年の志でした私が代表を務めるからには、最高に優秀な団体にしたい。私が変えられなかったら、TNKは、おそらく衰退していく、下手したら無くなって行くと思いました。だから、サービスを作って行く団体にするという事をだけを、1年間やって行くと12月に決めました。

しかし、当初イベントのサークルだったので、「どうやってサービス作るの?なんでサービスなんて作るの?」と言う感じだったんです。
だから、私は「俺自身が先頭に立って背中を見せる!」ということに決めました。
そして、1月からバイラルメディアのサービスを2週間で作って、佐藤勝人というTNKの優秀なメンバーと2人でバイラルメディアのサービスを始めました。
そしたら、2ヶ月で100万PV行ったんです。すると組織が変わりました。「あれ?サービスって作れるんだ!」となったんです。

 

TNK代表を経て起業。そして、見えたもの

–2ヶ月で100万PV!!すごいですね!またTNKは最初からゴリゴリの起業サークルじゃなかったということが驚きでした。

そうなんですよ。そこから、3月に100万PVを達成して、4月に新しい人が入ってきて、10期と11期の新しい体制になってTNKは再始動するわけなんですが、そこでフォーカスをしたのも「サービスを作ろう!」ということでした。最初に私が背中を見せたので継続していこうと思い、今度は皆にサービスを作ってもらって、私は起業をしました。それをTNKのメンバーを中心に集めて起業し、オーダーメードスーツをオンラインで売って行く事業をはじめました。

 

–常に、周りの一歩先を行かれていますね!オーダーメイドスーツ事業を選ばれた経緯を教えてください。

もともと、孫さんの伝記を18歳の頃の大学に入る前に読んでいて、「孫さんと勝負している!」という気概をもっていました。彼は、学生時代に電子翻訳機を売って、1億くらい稼いでいるんです。私も、電子翻訳機みたいな事業をするべきだと思っていたました。ただ、最初は、自分には時代の主流となる事業を作れないから、まずは、何が何でも儲けながらビジネスの仕組みを理解したいと思っていました。だから、儲かるもんだったら、なんでもいい!という思いではじめました。

(TNK在籍中に起業したNEXATE時代の写真)

 

–なるほど、そこでも儲かる事業!という明確な意思決定があったのですね。

当時ちょうどアメリカで、D2C、自社で製造してオンラインで売るということが流行っていました。そのサービスが日本にないからやろう!と思ってNexateという会社で始めました。実績としては、初めて2ヶ月でタイの工場と契約してスーツを作ることでき、オンラインのECは自分で作りました。

その時並行して、ソフトバンクイノベンチャーという社員向けのコンテストがあって
孫さんが認めたらソフトバンク本社が出資してくれるというコンテストがあるんです。その学生版があってトライでありました。
TNKの代表ということもあったので、オファーがあって、参加したら、予選をトップの成績で通過しました。
2000件のビジネスプランの中から、上位15位に入って、孫さんにプレゼンができるはずだったんです。それが20歳の頃でした。

 

 

–素晴らしいですね。成功まっしぐらという感じですね!

はい。ただ、ここで大失敗がおきます。オーダーメイドスーツ事業が大変なことになったんです。工場に、綿100%で発注していたのがポリエステル100%で来たりとか。また、日本とアメリカだと全然マーケット環境が違うんです。アメリカだと、体格も多様だから既製品のスーツが入らなくて、オーダーメイドの需要があります。対して、日本は体型大体一緒で、洋服の青山が24パターン作れば入るんです。しかも安い。だからオーダーメイドの需要がなかったんです。全てにおいて意思決定を誤っている状態だったんです。市場がだめ。ローカライズもうまくいかない。マーケティングコストも掛かる。

そこで問うたのは、「この事業を継続するかしないか」っていうことでした。最初の動機は、“儲かるからやる”ということでした。現状は、儲かりそうもない。「では、やめる」という意思決定になりました。でも、辞めることがだめ、諦めることが一番駄目だと思っていたので、どうして辞めることになったのか?を考えました。結論は、「自分のやりたいことじゃない。儲かるからっていう理由でやってしまったから」いけないんだ、ということでした。そして、「本質的に世の中のためになる事、自分のやりたい事という軸をもっと固めて事業はやるべきだ!」ことに気が付けました。半年間やってみて、200万円を溶かすだけで済んだということを考えると、早く失敗できて良いと思いました。2014年末20歳で、大きな最初の失敗でした。

そして、先ほどお話をしたコンテストも辞退しました。
孫さんに見向きもされないような数値だったからです。数億程度のものだったので、数百億もってこいって話なのに、、、。結果、「ここで出ることが間違い。これから幾らでもチャンスあるからそこで!」と思って辞退し、事業そのものも撤退の決断をしました。事業を辞める際に多くの人に頭を下げました、多くの人に迷惑をかけました。事業を失敗するということはどういうことなのか体で知ったのです。

 

–なるほど。辞める時の意思決定も明確ですね。若くして本当に経験値を積んでますね。後編では、数々のインターンを経験された時の話が、リリースされたARアプリ「Graffity」にどう結びついていくのか、聞かせてください!

 

※森本さんが開発した、空間に落書きができるARアプリ「Graffity」のダウンロードもぜひしてみてください!面白いですよ!

by
早稲田大学大学院卒の27歳。 Tokyo XR Startups、レオス・キャピタルワークスにおけるインターンを経て、早稲田起業家養成講座に触発されDARSと共にQ-SHOCKを開始。現在は、for Startups, Inc.でヒューマンキャピタリストとしても活躍中。趣味は読書とカフェ巡り。ビールが大好き。
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