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当時最年少上場企業女性役員の人知れぬ苦悩と圧倒的成長の秘訣

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Q-SHOCKをご覧になられている皆さんこんにちはタカタタンです。
昨日の記事では、驚異の地頭と人当たりの良さで受験と就職を難なく潜り抜けてきた我堂さんですが
現職のライクでは非常に苦労をされたそうです。人知れぬ苦労と喜びについて楽しんでいただければと思います。

 

ライク入社直後の暗中模索時代

–我堂さんは現職のライクに就職されてから、最初はどのようなことをされていたんですか?

ありがとうございます。マザーズに上場したばかりだったんで、有価証券報告書等の開示担当がおらず、入社してすぐに任されました。ただ、営業経験しかなかったのでイスにずっと座っていることすら苦痛で、会計の知識がないどころか、パソコンも使えず、ワード、エクセル、パワポすら全く出来なかったので、当時の上司から2週間もたたないうちに「なんも出来ないな・・・」と言われました。試用期間に「どうすんの」って言われてクビになりかけ、「頑張ります」と答え、そこから、監査法人の人に「財務諸表規則何条とか言われてもよくわからないから、監査六法の何ページって言って!」と言って、有価証券報告書を作りました。

それからは、会計士が持っている人脈と知識を全部身に付けようと思って、出来もしないのに、会計ソフトの入力から決算・開示業務は全部振ってくれと言っていました(笑) M&Aとかも振ってくれって言っていたので、デューデリもしていたのですが、正直「やりたい」って言うんじゃ無かったと思っていました。何がわからないのかすらわからなくてただただ辛かったです(笑)

 

–わからない中での暗中模索、本当に大変そうですね。他に管理の仕事をしていく中で不満のようなものはありましたか?

2つ納得いかないことがありました。直営しているdocomoショップやsoftbankショップの経理を担当していたんですが、お店の店長に指示を出す係なんです。だから1つめはお店のことが分からないのに、「ああしろこうしろ」と言うことにすごく違和感があったんです。だから、何をしていたのかと言うと実際にお店に行ってお店の事を教えてもらいに行きました。会社では「なんで我堂いないんだ?」「納得いかないって言って出て行きました!」という感じだったそうです(笑)京都と大阪と兵庫県に1店舗ずつお店があって、店の人と仲良くなって、店長の代理も出来るようになりました。

2つ目は営業と管理の壁です。営業は営業、管理は管理、と壁のようなものがあったことに違和感を感じていました。だから私が提案書などを作って営業のサポートを行っていました。当時はパワポで提案書を作れる人がいなかったんです。私もパワポが使えませんでしたが、ある日、机にパワポの本がバサッと置かれて「お前がIR資料を作らなければ会社が潰れる」みたいなことを言われ、適当に触っていたり、他社の資料の素材をパクったりするうちにできるようになりました。結局、本は1ページも見なかったです(笑)

 

提案書が書ける経理から役員へ

–現場に行く経理って聞いたことないですね(笑)どうして、管理部門にいたのに、提案書の作成ができるんですか?

なぜそんなことができるのかというと、ショップにいっていたからです!当時は携帯電話の販売員の派遣やアウトソーシングが主流だったのですが、営業はそういったショップの運営代理店等に営業をかけます。私はショップで店長と仲良しで、店長の代理ができるレベルだったので、「こういう業務で困っている」、「こんなスタッフが欲しい」と言うお客さんの気持ちがわかったんです。

当時、上場したてで人が足りなかったので、直営店の店長たちが総合人材サービスの営業へ異動になり、経理のために業務全般を把握していた私が、本部担当者として、キャリアさんとの会議への出席や、店のスタッフの面接や、寝坊をするスタッフの指導や、閉店時のレジ閉め等までしていました。営業さえ良ければいいのか、とかなり不満を抱え、キャリアさんや代理店さんとのほうが仲がいいくらいだったのですが、それが功を奏しました(笑)当時は、不満ばかりでしたが、私のIRに説得力がある、とお話いただくことがあるのは、間違いなくこの時に培ったもののおかげですね。

–なるほど!信じられないくらい元気ですね(笑)そういえば、我堂さんは、会社には3年しか居ないと決めて居たのではなかったでしたか?

そうなんですよ。私は会社を辞めるつもりでいたので、辞める人間が部下を持つことは無責任だと思い、「役職付けないでくれ」って言ってグループリーダーになることすらも拒否していたんです。入社して3年たつ27歳の時、社長に、「経理なのに外に行ってるとか文句を言ったことはあるか?M&Aとかやりたいと言ったことはなんでもやらせてるし、社外のサポートも紹介してるし、うちの会社でできてないことって何かあるの?」というようなことを聞かれ、「確かに無いなー」と思って「無いです」と言った途端、副部長になる訳です。2009年の12月でした。次の年にその時の部長が辞めることになったんですが、私が28歳だったので、幾ら何でも28歳女性の管理部長は早いということになり、大手企業出身の方とかを呼んでくるんですが、当たり前ですがマネジメントはできても自分で手を動かせないこともあり、スピード感が合わなかったんです。それで、結局、私は経理以外はしたことがなかったのですが、総務、労務、法務などもやることになりました。また、何がわからないのかすらわからない、という時代が来て、最初の時より責任も大きくなったので、毎日辛かったですね。

 

ーしんどい状況をどう耐えたのでしょうか。

しんどかったです。でも「やりたい」と言ったからにはやらないとなっていう責任感が一番ありました。「やります」と言ったから自分のポジションを採用していない。知識やスキル、経験がないことは社長もわかっていて任命しているから、望めばサポートをつけてくれる環境にある。だからこそ「自分のポジションは全うしなければ!」と思ってやりました。たとえ出来なくても途中で投げ出すのはダメだなと思っていました。岐路に立たされた時には、「死ぬ時後悔しないか」と考えて選ぶようにしています。

 

東証一部上場企業役員の苦悩と展望

ー前編では順風満帆のように見えましたが大変だったのですね。

そうですね。ただ、あの時があったから、同世代や、他社の同じ役職の方とは違った、深くはないけど広い知識と人を巻き込むというスキルがついて、今やっているような楽しいことができるようになったんだな、と思っています。いまだに簿記3級すら持ってないですけど、資格とか経験とか、今となってはどうでもいいですよね(笑)
あと、“しんどいことには何らかの意味があるから仕方ないや”といういい意味での開き直りもできて。
実は、去年も、M&Aで会社も増え事業規模も大きくなる中で、労務責任者として働き方改革で何が何でも社員は早く帰らせないといけなくて、「組織が大きくなっていくと、大きい企業なりの仕事の仕方をしなければならないのかな?」、「そしたらベンチャー気質の私は邪魔になるんじゃないか?」とか悩んでいたんです。

そんな時、人生で初めての人間ドックに行ったら卵巣に8センチの腫瘍が見つかって8月末に手術をしました。その時、ある経営者の方が「我堂さんのコピーを作るのか、組織を作るのか、せっかくだからゆっくり考えたら?」と言ってくれたんです。社会に影響力のある規模出していくにはやっぱり個人より組織だなーとか思っていたら、入院している間に会社が「組織作ろう」という方向へ動いていました。退院したら、社長が「うちは、どベンチャー」と言っていて、世の中の流れも、どんな理由があれ働くことは悪、という風潮が薄れてきていて良かったなと思いました。2週間も経たずに復帰できたのですが病気になった経験から、私自身の考え方も、どベンチャーも緩やかに働くのも共存して、自分のライフステージに合わせて働き方を選べたらいいんじゃないのか、というように変わったことも良かったと思います。

 

–それが全て力になっているのですね!我堂さんは今後どんなことをしていきたいですか?

管理部門は会計ソフトの入力や有価証券報告書の作成等は自分でしなくていいくらい手も離れたので(笑)、ライクグループを大きくするための動きをしていきたいです。社長のすごいところは、誰がやってもそこそこ伸びるビジネスモデルを作れるというところなんです。だから伸びるんです。でも、他に、保育も人材も介護もやっていて、待機児童問題、介護離職問題、働き方改革、っていう日本の社会問題を一挙に解決している会社は他にないんです。社会的に良い事をしているので、これからは事業規模を出していかなきゃならないと思っています。最近、よく言っているのは、「今までは知っている人は知っているインディーズバンドだった。これからは、武道館とか紅白とかを目指していく」ということです。そしたら新しいことをしなくちゃならないですし、片手間でやってきた仕掛けを本格的にしなければならない。経営管理部長としての義務を果たした上で、色々な企業と会って、色々な人とジョイントしてもいいし、スタートアップ支援をするのもいいです。(先日、現役大学1年生が起業したスタートアップへ出資したことが話題になりました!)

最近、うちの社長や大手法律事務所の有名女性弁護士等、「10年後絶対もっとおもしろくなるから」とか「40代もっと楽しくなるから」とか言われることが増えたんで、楽しみですね。

私は恵まれています。支えてくれた人が沢山居ました。多分、「我堂を育てたのは俺だ、私だ」と思ってくださっている先輩がたくさんいらしゃると思います。だから“楽しそうに生きていることが恩返し”かなって思っています。

 

–楽しそうに生きていることが恩返しってとても素敵な考え方ですね!最後に、Q-SHOCKの読者に何かメッセージはありますか?

当時は女性で最年少で取締役になりましたが、私は特殊な人じゃないよって言うことですね。

今まで生きてきた中で「やりたいことを無理やり見つけなくてもいいんじゃない」って思っています。私は、これをやりたい!という信念は無くて、それぞれの時期に「面白そう」って言うものに飛びついて来ました。とはいえ、仕事ですから役割もあるので振られる仕事には嫌なものもあり文句を言っていたり(笑)、悩んだりもしているんですが、絶対に後々役に立つようになると思います。

 

–たしかに我堂さんと話していると、不可能とかなさそうですね!

ありがとうございます(笑)「これができたらな・・・」っていう壁があるとアイディアや工夫が生まれやすいんです。私は、壁があるたびに、ツギハギみたいに知識をつけたり、できそうな人を探して巻き込んだりしています。自分や誰かがやりたい、と思ったことを実現する部署も作りたいですね。

 

by
早稲田大学大学院卒の27歳。 Tokyo XR Startups、レオス・キャピタルワークスにおけるインターンを経て、早稲田起業家養成講座に触発されDARSと共にQ-SHOCKを開始。現在は、for Startups, Inc.でヒューマンキャピタリストとしても活躍中。趣味は読書とカフェ巡り。ビールが大好き。
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