こんにちは!DARSです。本日はpolcaやCAMPFIREを活用して嫁Tシャツプロジェクトをしている助広さん(過去記事はコチラ)から、ご紹介を頂いた玉置さんへ取材しました。
プロのセパタクロー選手としての活動、セパタクローを広めていく活動をされている玉置さんがセパタクローとの出会いやpolcaを使ってみて得られたことについて語ってくれます。
スポンサーリンク
玉置 大嗣(たまき だいし)24歳。身長183cm。和歌山県出身。現在はプロのセパタクロー選手。セパタクローを盛り上げるための活動を積極的に行なっており、そちらに伴い、polcaやCAMPFIREを活用している。小中学校はサッカーにキーパーとして熱中。県代表も経験。その後、身長が伸びずに後輩にポジションを譲り、高校からはバスケに熱中。高校時代に身長が伸びる。 |
–プロのセパタクロー選手なんですね。単純な疑問なんですが、今って就職はしてないんですか?
してないですよ!学生時代から本当に就職は嫌で(笑)
親を見ていて、転勤が多くて朝が早ければ帰りも遅く、すごく大変そうに仕事しているんです。もちろん、男三兄弟を養ってくれた事に、それだけの苦労が必要だった事も理解していましたし、尊敬の念しかありません。ただ、自分はこんな働き方はしたくないなと思っていました。園芸学部だと農協とかに進む人が多いですが、自分には完全に不向きだと思ってました。
だから、セパタクローで食っていこうと思って、今に至りますね。
–当時、就職しないことに対して周りの反応はどうでしたか?
友達は応援してくれました。親は苦言を呈しましたが、親はいつも何だかんだ、好奇心旺盛な自分のやりたい事は全てやらせてくれましたね。最終的に理解してくれました。
–周りにも恵まれてたんですね!。ここからはセパタクローについて聞かせてください!セパタクローって、いわゆる手と腕を使わないバレーボールですよね。あんなすごいスポーツと出会ったきっかけについて教えてください。
大学入学後の部活やサークルの新歓でバスケサークルを探していたんですね。しかし、偶然見たセパタクローの方がインパクトがあったんです。セパタクロー部の先輩でアタックできる人がいて、それに憧れて始めました。
–そもそもあんなアクロバティックなのに、よく始める気になりましたね!体が相当柔軟じゃないと大変そう。。
そうですね。セパタクローはのめり込んだ人が続けていますが、挫折してやめる人もいます。でも意外とゆるいですよ。
–流石に玉置さんのように、日本代表レベルやプロレベルになったならゆるくないですよね?
大学3年の時に部内の緩かった雰囲気を少し壊しました。それでキャプテンを降ろされたりもしました。
前述のようにアタックに憧れて始めましたが、肉離れやヒザだったり怪我が絶えなくて、サーバーというサーブ専門のポジションに変えたのが転機でした。そして、自分から日本代表の人に連絡を取ったりした結果、ポテンシャルや身長の高さを日本代表に目をつけてもらいました。
–すごいですね。目をつけられるために何かしたんですか?
セパタクローの本場がタイなんですが、アタッカー時代にタイへ修行へ行ったんです。そんなことする人殆どいないので、タイへ修行に行ったことから目をつけてもらいました。これは戦略的にというよりかは結果論です。
–チャンスってどこにあるか分からないから、まさに行動あるのみですね。話は変わりますが、polcaはなんで始めたんですか?
まず、polcaが盛り上がっていたことが理由です。スポーツ界ってクラウドファンディングとかに疎いからこそ自分はそこへアンテナを張っていたんですね。ちょうどその時にセパタクローのキッズチーム作って活動をしていました。練習に必要なボールを揃えないとチームの活動ができないことをキッカケにpolcaを始めました。
–なるほど。マイナースポーツの普及って難しそうですもんね。そもそもですが、紹介頂いた助広さんとの出会いは?
互いがpolcaで支援する仲でした。第2回のpolca飲み会で助広さんや北村さんとも初めてお会いしました。
–素敵な繋がりですね。polca飲み会はどうでしたか?
今までスポーツの現場でしか自分の思いを話したことがありませんでしたが、色んな角度から意見を頂いて視野が広がりました。飲み会をキッカケに行動の数も幅も増えました。
また、この取材も元をたどると、polcaが出会いですし、カメラマンのジンさんだったり色んな盛り上がりができました。polca飲み会に行かなければ何も始まりませんでした。ジンさん今後ろにいますよ(笑)
そして、飲み会後は色んな場所(講演会・イベント・オンラインサロン)行ったり、以前よりも考えてSNSの発信をするようになりましたね。
–良いですね!色んな行動をするようになって変わったことはありましたか?
色んな著名人のマインドだったり考え方を変換して自分に活かせるものにしていく作業ができました。色んなことを学んだ上で発信をする(セパタクローの課題だけでなく、スポーツ界全体の課題だったり、ビジネス的な視点、選手としての視点ではなく、キッズチームのコーチとしての視点など)ことによって、我ながら発信の質が上がったと思います。他のマイナースポーツの人も自分の発信を見てくれて、その人たちも質の高い発信をするようになってきたんですよ。
–色んなマイナースポーツの発信者のパイオニアですね!
いやそれは大げさすぎますよ(笑)各スポーツの協会に倣っていくことも大事だけど、そこじゃない部分で自分からも盛り上げられる部分が必要だと思います。でもお互いの発信の質が上がっても、マイナースポーツだけにまだまだ課題があるんですよ。。
–後編ではそちらについて詳しく聞かせてください!